ひろ

ゴッドファーザーPART IIのひろのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザーPART II(1974年製作の映画)
5.0
監督フランシス・フォード・コッポラ、脚本を監督と原作者のマリオ・プーゾが務めて製作された1972年のアメリカ映画

第45回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞(マーロン・ブランド)、脚色賞を受賞した

世界中の映画ランキングで上位に選ばれる作品であり、日本のキネマ旬報オールタイム・ベスト200でも1位に選ばれた傑作中の傑作。「一番面白い映画なに?」というひねりのない質問は好きじゃないけど、聞かれたら「ゴッドファーザー」と答えるだろう。権威主義だと思われたら心外だが、この作品は文句のつけようがない。

ギャング映画の金字塔と言われているから、女性なんかは避けている人もいるかもしれないが、実の家族、そして組織である“ファミリー”の絆を描いた作品であり、その格式の高さは、バイオレンスというものを超越し、もはや芸術だ。

撮影監督ゴードン・ウィリスによる冒頭の陰影に満ちた照明、絵画のようなシーンの数々、フェデリコ・フェリーニ映画の音楽を手掛けたニーノ・ロータによるあまりにも有名な「愛のテーマ」。この映画は個々の技術がぶつかり合い、完璧に調和した作品なのだ。

冒頭の結婚式ときな臭い話を同時に進行する手法は、コッポラ監督が大ファンだった黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」の冒頭を模倣したもの。「悪い奴ほどよく眠る」も面白い映画なので観てもらいたい。そんな完璧と言っていい始まりから、ヴィト・コルレオーネからマイケル・コルレオーネへの継承の物語になり、これまた完璧と言っていいラストシーンへと向かう。

口に綿を詰めて威厳を出す工夫をしてヴィト・コルレオーネ役を掴んだマーロン・ブランド。数々のトラブルを起こしたり、高すぎるギャラなどもあり、落ち目と言われていた時で、この役でその存在を確固たるものにした。それでも台詞は覚えて来ないし、現場に現れなかったりしたみたいだが、その演技が全てを帳消しにする重みを持っている。アカデミー賞で主演男優賞を受賞したが、受賞を拒否し、ハリウッドの先住民への差別の歴史を批判し、それ以降、西部劇はほとんど作られなくなった。

実質の主人公であるマイケルを演じたアル・パチーノ。無名だった彼を、マイナーな監督だったコッポラが抜擢したことにより、奇跡的な傑作が誕生した。アル・パチーノの重厚な演技のイメージはこの作品からだろう。ヴィトからマイケルへの継承は、まるでマーロン・ブランドからアル・パチーノへの継承のようで、2人が語るシーンは感動せずにはいられない。

最高の当たり役過ぎて、その後苦しんだ狂犬ソニー役のジェームズ・カーンや知性派トムを演じたロバート・デュヴァル、マイケルのガールフレンドを演じた初々しいダイアン・キートン、やり過ぎなぐらいヒステリックなマイケルの妹コニーを演じたタリア・シャイア。この作品で評価を高めた名優ばかりだ。脇役までクオリティが高い。

タリア・シャイアはコッポラの実の妹だけど、端役でピアノを弾いているのは父親のカーマイン・コッポラだし、最後の方でコニーの子供として洗礼を受けている赤ちゃんは、コッポラの実娘であり、シリーズ全部に違う役で出演し、現在は有名な映画監督であるソフィア・コッポラだ。家族の物語だけに、コッポラも家族を使いまくっている。

映画を語るなら、まずは「ゴッドファーザー」を観るべきだ。一本でも多くの映画を観たいから、同じ映画を何度も観たりはしないし、DVDを買ったりもしない主義なんだけど、「ゴッドファーザー」シリーズのDVDBOXは持っている。これを観ないで映画を語るなかれ。これが完璧なる映画というものだ。
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