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ゴースト・ドッグのkuuのレビュー・感想・評価

ゴースト・ドッグ(1999年製作の映画)
3.8
『ゴースト・ドッグ』
原題Ghost Dog: The Way of the Samurai.
製作年1999年。上映時間116分。

鬼才ジム・ジャームッシュがフォレスト・ウィテカーを主演に迎え、孤独な殺し屋の戦いを描いた異色アクション。
アメリカ・日本・フランス・ドイツ合作。
ラッパーのRZAの俳優デビュー。

『武士道といふは、死ぬことと見つけたり』
の一節で有名な日本の江戸時代の書物『葉隠』(山本常朝の著書『葉隠:侍の道』ウィリアム・スコット・ウィルソン英文訳から引用してるかな。)
を愛読し、伝書鳩を通信手段にしている変わり者の殺し屋ゴースト・ドッグ(片方の目が半眼なんがまた味がある)。
余談ながら、ジム・ジャームッシュは雑誌のインタビューで、フォレスト・ウィテカーのためにゴースト・ドッグの役を書いたと云ってた。
ウィテカーが今作品の役を演じていなかったら、映画はおそらく作られなかったんやろな。
ある日、彼は命の恩人であるマフィアの幹部ルーイから、ファミリーの一員フランクを殺すよう指令を受ける。
ファミリーのボス、レイは溺愛する一人娘ルイーズにファミリーの全財産を託したが、彼女はフランクを愛してしまった。
ルイーズに父の指令と悟られないようフランクを消すというのがゴースト・ドッグの仕事だったが、ある行き違いからゴースト・ドッグはマフィアとの抗争に突入していく。。。

RZAをバックに、脈打つようなリズミカルなサウンドトラック。
今作品の挿入曲は予想以上によかった。
ロビー・ミューラーによる繊細で緻密な撮影(ジャームッシュとは『ダウン・バイ・ロー』でも素晴らしいコラボレーションを果たしている)。
フォレスト・ウィテカーは、ゴースト・ドッグとして知られる献身的で現実離れしたサムライを演じてるけど、これは彼の最高傑作であり、忍耐力と冷静さでアクション映画を支配できることを端的に示している。
5分おきくらいに侍の道についての哲学的なメモがあり、それは(善良でテーマ性のある)ハリウッドのアクション映画よりも(善良で銃撃戦の多い)芸術映画にふさわしいように思われる。

『そもそも、武士の教えってなに?? 武士道ては何処から来たん??
 徒然に考えてみた【kuu】』
   (YouTubeのタイトル風に)
現代には消えたように思われる武士道。
せやけど、実際は現代でも脈々と武士道は日本人の胸に秘めてると小生は思います。
今作品の主人公には負けるけど☺️
ゴーストドックは葉隠をバイブルにしてる。
日本人の現代には学者とヤクザもんくらいかな。
日本における宗教・教えてのは、
神道に始まり、その後6世紀位に仏教(釈迦の教え)と儒教(孔子の教え)、そして道教(老子の教え)が伝来され、規範となる道徳が構築されいった。
こないな教育背景の中には、12世紀に入り鎌倉幕府による封建制度が要因の一つかと思います。
主君に対して、主従関係を結んで、政治的にも絶対従順が強いられる。
又、江戸時代には形はチョイ変え、幕藩体制の元、力関係は更に明確にされてく。
この封建社会と共に武士階級の中で、発展した理念が武士道といえる。
つまり、武士道、その徳というのは、仏教、神道、最終的には儒教時々道教の影響を強く受け、封建社会で形成された教え方であると考えられてる。
なら、武士の階級だけやんと思われがちやけど、
実際、江戸時代は、日本は識字率世界一やったと云われてる。 
武士はほぼ100%、字の読み書きそろばんが可能やった。
一般層の場合でも、子供の頃には寺子屋や村に住み着いた武士(元武士)の内職的に教えてた。
だから、一般層の男性の49~54%は読み書きがそろばん可能やった。
先生が武士なら当然、武士道の教えも読み書きそろばんと共に教えただろうし、武士道の理解不理解は別として日本全土に浸透してたんちゃうかな。

んで、そんな武士道には従うべき
『武士道七つの徳』てのがある。
これらの定義を概念として挙げていくと儒教が色濃いかな。
外国の人に何となくイメージしてるんは、この部分が大きなウェートを占めてる(先に書きました神道、仏教、儒教、道教を読んだら同じ教えが必ず見つかる)。
今作品のゴーストドックにも云えるかな。

① 義 (Justice)
損得を嫌み、人として正しい行いをする。

② 勇(Courage ) 
犬死じゃなく、義を行う勇気を持つ。

③ 仁(Mercy)
思いやり、憐みを持つ。

④ 礼(Politeness)
他を尊重し、謙虚さを持つ。

⑤ 誠(Sincerity)
嘘をつかず、云った事を成す。

⑥ 名誉(Honor)
恥を知り、名を尊ぶ。

⑦ 忠義(Loyalty)
主君への忠誠心。

これらは、上記の宗教に加えて、中世ヨーロッパの騎士道(Chivalry)にも重なる徳もいくつかある。
そん中で、やはり突出して外国人の理解を超える難解な信念が忠義ちゃうかな。
武士道の忠誠心の解釈には諸説あるけど、ヨーロッパは個人主義である為、主君と個人には別々の利害が認められる。
でも、一方、日本じゃ昔から個人・家族・組織・国家は一つやと考えるフシがあったし、その利害は一体のモンやった。
ここに、神道の教義である忠君ちゅう考え方が吹き込まれて、武士道の忠誠心が完成されたと考えられる。
こないな考え方が、特有の社会と宗教において規約的な規則として、当時の武士に義務感として存在したんちゃうやろか。
主君のために、
つまり家族の為、
国の為、
自分の信じた殿、
領主に命を捧げるのが正しい事で、そうすベキであると。
これ程の忠誠心は他国にはあんまり見られず、
それ故、理解不能なんて云われんのかもしれへん。
小生も机上でさえあまり理解できない。
その他の徳については、その時代、武士達が大事にしてきた倫理観やけど、もしかすっと極端さは無くなり、その形こそ変わってはいるものの、今日の日本の生活に普通に見られる事なのかもしれへん。
例えば、外国人が日本に来て驚くんが、
日本の街は汚くないと云う。
これは、日本人が綺麗好きやと云う見方も出来なくはないが、塵芥をそこらに捨てる事は、良くない、見られると恥ずかしい、なんて感情が常識的に備わっている、浸透してる。
又、人々は親切で謙虚やと云われる(先日パンケーキ屋さんで知り合った海外の人も云っていた)。
これは、日本人が思いやりを持ち、他人を尊重すべきだと心に常に置いてるから。
他に、日本人は約束を守る、列に並んで待つなんか云ってかな。
『武士はこうあるべし』と云う極端な考え方は、現代人から見ても、未だに理解できるものちゃうけど、いくら時代が変わっても同じ日本ちゅう土地に生き、こないな事したら良くないだとか、こうする方が美しいなんて云う、今日の日本人が大事にしている思いについてはそれ程変わらないのではないかという思いがしました。
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