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手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しくのkuuのレビュー・感想・評価

3.8
『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』
釈迦もそうやけど、イエスや、孔子、宗教家だけじゃなく、歴史上の登場人物なんか、普段目にすると仰々しく祀られとるし、伝説の人物見たいな感覚に陥るけど、彼らもまた、1人の人間やったことに、この作品で気がつかせてくれたかな。
Buddha(ブッダ)てのは、サンスクリット語(文学、哲学、学術、宗教などで用いられた古語)の『知る』『目覚める』を意味する、
動詞ブドゥ(budh)てのの過去分詞形で、
『目覚めた者』=『真理を悟った人』と訳される。因みにニルバーナは『吹き消す』=『悟り』
あぁカートコバーン
聖人・賢者=仏陀(ブッダ)
って呼ばれるようになったらしい。
余談が過ぎますが、 
イエスを『キリスト』と呼ぶんは同じ感じかな。
キリストは本来のギリシア語で『膏をつけられた者』ちゅう意味で。
ヘブライ語のメシアちゅう翻訳で用いられます。
つまり、仏陀やキリストは敬称と捉えてもいいかな。間違いでしたらすんません😅
映画の題のブッダは釈迦を指し示してるけど、
勿論、小生も先人の智恵者と敬いっていますが、無神論ですし、親しみを込めお釈迦さんと書きます。
敬虔な仏教徒の方が不快に思われても、決して他意はないので。
扨、お釈迦さんは貴族ちゅう身分で、おそらく何不自由なく生活できる王子やった。
ガキの頃から、帝王学がこの時代にあったんかは定かじゃないけど、兎に角、英才教育を受ける日々の生活に、奴隷と貴族との隔たる身分制度てのに疑問を感じた。
親が選んだ女性と結婚し、妻との間に子供まで生まれてく。
そして、若者は、戦争で傷つき、多くの人が死んで往く(ゆく)、
勿論、人は全て老いて死に向かう、そんな生老病死の姿と苦しみを見るに耐えられなくなった彼は、
王として生きるのではなく、釈迦たる目覚めたる者と成ることを目指して流浪の旅に出ることを決意。
家を(お城を)出る=出家。
これから先、彼はどんな試練を受けるのか?てな感じのお釈迦さをの青年期を描いてるアニメーションです。
小生は、何時でも希望ちゅうのは、
片方に絶望が有って、絶望の深い闇の中から一条の光がさしてくるんやと信じてます。
私たちは、ただただ、明るい中から希望を求めると云っても難しいし、
矢張、
絶望とか、
あるいは悲しみ、
時には迷い、
そして、苦しみ
などの中で必死になって自分の心の触手を辺りにひろげ、
何かに掴もうとして、行ったり来たりしながら、何事かを理解するのではないかと思います。
お釈迦さんはネガティブだと云われてるけど、確かに教義を読めば
色即是空
色はすなわちこれ空(nothing)
空即是色
空すなわちこれ色
みたいに否定、否定、やけど、
そこから翻って、彼は悟った。
つまり究極の真理を見た一人なんかなぁと。
勿論、歴史に刻まれた、ソクラテスやプラトン、孔子や老子、イエスやムハンマド、天才と研鑽を重ねた秀才と呼ばれた芸術家達も、何らかの自分らの方法で絶対的なんか(真理)を見たんやろなぁ。
有るでもない、無いでもない真理を。
このアニメはそんなことを深く考えさせてもろた作品すね!
当たり前のようで、目を背けてる四苦八苦、
生老病死の四苦に
愛するものとの別れる苦しみ
イヤなやつと出会う苦しみ
求める物が得られない苦しみ
人間の肉体と精神が思うがままにならない苦しみ
四苦合計八苦は避けれん苦しみやと、忘れがちな当たり前の苦しみ背けんと向きあわななぁって再確認出来て、縁にカンシャ~🙋。
末筆ながら
映画の声優陣のマジ豪華!
吉永小百合
堺雅人
西岡秀隆
などなどに加え、
有名な声優陣の数々やなぁ!
吉永の小百合ちゃんの美声に惚れボレしました😀
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