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ラリー・フリントのkuuのレビュー・感想・評価

ラリー・フリント(1996年製作の映画)
3.8
『ラリー・フリント』
原題The People vs. Larry Flynt
製作年1996年。上映時間129分。

70年代の米国。
フリントは、自分がオーナーをつとめるストリップ・クラブの客寄せのため、ヌード写真入りの新聞を発行した。
この成功に目をつけた彼は、出版社を設立し、“ハスラー”を創刊。
巨万の富を得るフリントだったが、その過激な内容に良識派からの非難が集中する。。。
ラリー・ブリンドは最もエロでお下劣とされるポルノ雑誌『ハスラー』の発行人で、ケンタッキー州の困地域に育ち、初体験はニワトリ相手だったという伝説?を持っている人物。
小生んとこの近所に住んどった爺さんは、ヤギとヤりまくってたって云ってたなぁ。
ガキの間じゃ伝説?今じゃ都市伝説かな。
扨、フリントは過激な性的嗜好を反映させたポルノ雑誌を創刊した。 
米国のポルノ雑誌と云やぁ、キンゼイ博士による性生活報告と同じ53年に創刊された
ヒュー・ヘフナーの『プレイボーイ』、日本の週プレ『週刊プレイボーイ』は『平凡パンチ』に対抗するかたちでそうかんされ、1966年10月28日に創刊された。
2020年3月18日、発売の号をもってプリント版の発行を停止すると宣言したそうです。
日本版『PLAYBOY』も早くに廃刊。
65年のボブ・グッチョーネ 『ペントハウス』、美人ポルノスターてんこ盛り、PENTHOUSEのコンテンツはアメリカのアダルトモデルやポルノスターを中心にフォトギャラリーとビデオで構成されている。
これらの登場は、性解放の時代における表現の自由の象徴ともなったそうっす。
70年代に登場した『ハスラー』は、ブルーカラー向けを目指して、男女の性器を完全に露出させた解剖学的?とも云える性表現と『サンタクロースのセックス』というようなアンモラルジョークを満載。
75年には、元ケネディ大統領夫人のジャクリーン・ ケネディ・オナシスの盗撮ヌードを掲載。
スキャンダルを巻き起こして、それらが古色蒼然とした保守的な性モラルを打ち破る突破口となったんかな。
せや、77年に売春斡旋、猥褻、 組織犯罪によって起訴されて有罪となり、
『全裸監督』の村西監督も米国で逮捕されとったなぁ。
78年には裁判所前で狙撃されて下半身不随になる。
村西監督もエロ伝道師やけどフリントの方が元祖。
80年代、保守派とエイズとコカインの時代に入り、キリスト教保守派政治団体モラル・マジョリティのジェリー・フォルウェルとの裁判が開始(83年にカンパリ広告のパロディとして『フォルウェルが初体験を語る』と題し、彼と母親の近親相姦をほのめかす ジョークを掲載した)。
結果、 
『名誉毀損』じゃ勝訴、
『精神的苦痛』じゃでは敗訴。八八年に上訴し、全員一 致の裁定で勝利を収めることとなった。
本作品は96年公開された。
当時は宗教右派によってポルノや暴力などに対する文化規制を推し進められていた時期で、本作品は製作された。 フリントは劇中で、
『憲法修正第一条が俺のようなクソを守れるとしたら、お前たちもひとり残らず守ってもらえるだろう。 なぜなら俺より低俗な人間はいないからさ」

監督のは、ナチスによって両親を失い、
スターリン時代のチェコスロヴァキアで過ごし、
68年のチェコ事件を機に米国へ亡命した人物こちらもイカついなヤツ。
独裁政権下の不自由の恐ろしさを肌身で知る彼が追求し続けとるんは、自由 意思を表明する撹乱者と体制側とのあ つれきのストーリー。
『ラリー・プリント』じゃ、米国現代史に名を残す反抗児を描いている。
低俗かつお下劣やけどバイタリティにあふれている人物としてありのままに描いて、決して英雄視してへん。
彼を見よ。 
誰がおうと、
これが彼”なんや
なんて云ってるみたいな作品でした。
フリントは、米国では、言論の自由の象徴となったけど、背後では大きな犠牲が払われた。
妻アリシアは、創刊当初からいかなる苦難のときもフリントを支えてきたが、エイズに冒されて87年に世を去り、 フリントは振り返って『何度結婚しようと本物の愛はひとつしかない』と語っている。
本作は、愛の喪失と痛みを描いたラブストーリーとしても観れるとは思います。
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