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ローマの休日のnere795のレビュー・感想・評価

ローマの休日(1953年製作の映画)
2.1
言わずと知れた、「名画」なんである
だが、良くも悪くも、「ハリウッドの」という形容詞を冠した上で、だが

自分は、同じく「名画」とされる『ライフイズビューティフル』を自分の鑑賞史上最低最悪の映画だと思っているのだが、そしてその理由の一つが、ハリウッド映画的なところ(より正確には、ハリウッド映画に憧れてたりしてるんじゃないか、ないしはオスカー目当てで作ったんじゃないかと思われるフシがあるということだが)にあるわけで、しかし、「ハリウッド的」よりは、「ハリウッドそのもの」である方が、まだまし、だとも思う

ハリウッドそのもの、とは、要するに思考停止だということ
そこからは何も得るものはない、それに尽きる
だが、映画から何かを得る必要がないという反論があれば、それには言葉がないし、ドリフターズのコントと同様に、ハリウッド映画も、その場で楽しめればそれでいいのではないか?とも思う

更に、こんな映画からでも、人生の何たらなんかを学んだりすることができたりする人もいたりするわけで、トムとジェリーからだって「友情の大切さ」とかを学べるのかもしれないのと同様に、その感受性の高さには感心せざるを得ないが、自分的には薄っぺらなドタバタ喜劇でしかない

だが、この映画はそれ以上のもの、があるので、それは、戦後のイタリアに対する、戦勝国アメリカとイギリスのそれぞれの事情が透けて見える、ということなのである 

つまり映画の楽しみ方として、メタな観点から見ることは可能なわけで、オードリーヘップバーンが素敵、とかという中に入り込んだ楽しみ方とはまた違った路線だということになるが

第二次世界大戦後イタリアが果たして戦勝国だったのか、敗戦国だったのか、実は誰もよくわかってない イタリア人自身にすら、なのである
そのあたりは、上記ライフイズビューティフルでも片鱗をみることができる つまり、悪いのは、負けたのはドイツであって、自分たちイタリアは、被害者であり勝者である、と
パルチザンという言葉は、イタリアの戦後の政治社会の一つのキーワードであったし、今なおありつづけている
なので、基本は、イタリアは敗戦国ではなかった、という自己規定が通用していたわけだが、実質は、ドイツや日本と同様に、経済的な混乱低迷は著しかった アメリカとイタリアの経済格差は、今日での、先進国と最貧国程度までのものだった、ということなのである

本映画でも、アン王女が記者から借りるでっかい札の1000リラ、「こんなに沢山…」と思わずの発言に、米ドルにすると僅かなんだけどねという答え
 インフレが進行して、戦前のそれなりの価値に相当した立派なリラ札と現在の価値、それは、過去のローマの遺産を抱えながらも、アメリカイギリス等の連合国の援助なしには立ち往かない当時のイタリアの経済を示している

またキャストにも、掃除婦の端役に有名なイタリア現地舞台女優が配されているのは、この映画を当時見たイタリア国民としては微妙な心境だったのではないだろうか

いずれにせよ、主役2人の背後に展開される、当時のローマの情景は、物価がバカみたいに安くて、観光の魅力にあふれた、後進国たるイタリアの社会であり、現地の人間は、その背景の一部、つまりはフレムトな存在でしかない まあかろうじて、王女にナンパする美容師とのやり取りはあるが、ストーリー的に重要とはいえない というか、まあプーケットで日本女性が現地人にナンパされちゃった…、みたいな光景と大きく変わることはなかろう つまり、そこでは人格の交流とかいったものは一切存在しない、河川敷パーティに出席するという導入を果たしただけに過ぎない

なので、ハリウッド映画がアメリカ人によるアメリカ人のためのものである以上、本映画もアメリカ人にとってのローマ観光案内という側面もあり、それはそれで楽しめる というか観光案内としては、当時のイタリア人以外の世界中の人々にとっても、普遍的な実用的価値があったことは否定できない

だがその点すら、実は、当時のアメリカ人が見ていた、遅れた貧しいイタリアという視点からの、一定のバイアスを、「自分たちもアメリカ人の一部なのだ」という暗黙の前提のもとに(あるいは多くの場合にはそんなことすら映画という措置を通じて、およそ考えていないのかもだが)、自分たちも、当時のアメリカ先進国、覇権国の市民視線で見ることに抵抗がないなら、という限定付きなのだが

スクーターを暴走して、多くの市民に被害をもたらしたドタバタも、
アメリカ人が新婚旅行で起こしたこと、なら許されるという設定、
アパートの管理人をまるで自分の私兵のように、命令して使う、
しかも金銭的には、逆立場であるのにとか、さらには、1000リラは数ドルだが、アイスクリームと美容院カットでなおおつりがくるという経済格差、背景に出てくる、市民の貧しさと、しがない新聞記者であってもアメリカ人
であることからのパリッとした服装…、
枚挙にいとまがないが、それらを、ほほえましいドタバタ、
スタイルがいいグレゴリーペックとセンスの良いオードリー、というような
肯定的評価を下すことができるなら、だが

サンタマリアインコスメディン教会(いわゆる真実の口がある)の行列がコロナ禍の最中でも途切れなった事実は、この映画の宣伝力がいまだに存続していることをまざまざと証明するものでもある 映像に記録されている名所旧跡の殆どが、今日なお基本的にはその当時と変わらない姿でとどめているのには、観光立国イタリアの底力を感じざるを得ない
白黒が特殊技術で近日カラー化されるようだが、一種の怖いもの見たさで、また現在との比較が楽しみでもある

画像の美しさ、とりわけ様式美としてのそれは、完璧だといってよいだろうし、現在なお色あせない価値をもっている
肩の凝らないコメディとしては、よくできているし、他人に勧められるかどうかの見地からは、いつかは見ることになるのだろうし、見たらいいんじゃないか、ただし、一生見なかったとしても、別に困りもしないだろう、という程度(かなり褒めているつもりです)

オードリーヘップバーンが好みの女優なら、もう少し加点できるんだろうけど、自分的には、なんか中性的というか少年的な感じで、あまり好きにはなれないし、綺麗という感覚とは違う気がしている
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