パングロス

早春のパングロスのレビュー・感想・評価

早春(1956年製作の映画)
4.1
◎不倫コメディからの丸の内リーマン残酷物語

4Kデジタル修復版(2017年)による上映
*状態は極めて良くストレスなしに鑑賞できる

以前観たかと思ったが、他の作品と混同したようで、(記憶違いでなければ)今回が初見。

7割方がコメディ、3割がシリアスというバランスのサラリーマン/家庭劇。

前5分の4までは、かなりウェルメイドなコメディ基調の作りで、プログラムピクチャーのルックを呈し、あまり小津らしくない。
戦前のソフィスティケイティッド・コメディの傑作『淑女は何を忘れたか』のように洗練された高踏な笑いの芸術というより、本作と同年に始まる森繁主演の社長シリーズに近いと言ったら良いか、笑いの質も至って庶民的。
【以下ネタバレ注意⚠️】




コメディ基調というのは、タイトルバックの斎藤高順による軽快な音楽を聴いても明らかだ。

ところが、残る終盤5分の1になって、ようやく小津らしい深みと広がりを見せる。

東宝のスター、池部良(37歳)と淡島千景(31歳)の夫婦をメインに、『君の名は』三部作(1953〜54年)のヒットで脚光を浴び、松竹の若き看板女優となった岸惠子(23歳)を池部の不倫相手に配して新味を出した作品。
池部と岸の小津作品出演は本作のみ。

杉山正二(池部)は、東京の南はずれ、蒲田の貧相な借家暮らしのサラリーマン。
妻の昌子(淡島千景)と二人暮らし。
息子がいたが幼くして疫痢で他界していた。

向かいには田村精一郎(宮口精二)とたま子(杉村春子)夫妻が住み、たま子が何かと尋ねて来ては賑やかに話して去る。

杉山の朝は、ラッシュのなか、京浜東北線で東京駅まで通勤。
丸ビルにある東亜耐火煉瓦株式会社のオフィスが勤務先だ。

杉山の同僚で、同じ電車で通勤する金子千代(岸惠子)は目が大きくて、煮ても焼いても食えないヤツだからと、キンギョとあだ名されている。
杉山は、仕事仲間たちとの江ノ島ピクニックで千代と急接近。

ある日、同僚たちが病気療養のため長く休職している三浦勇三(増田順二)の見舞いに行くことになった時、杉山と千代は口実を作って抜け、二人だけで密会。一夜の関係を持ってしまう。

素知らぬ顔で帰宅した杉山の様子に、不審を感じた昌子だったが、夫の方もなかなか尻尾を出さない。
昌子は、五反田でおでん屋を営む母しげ(浦部粂子)や目白のアパートに住む友人富永栄(中北千枝子)を訪ねては、愚痴をこぼすのだった。

杉山には同年輩の同僚たちの他、かつて仲人を買って出てくれたが大津支店に転勤となった小野寺(笠智衆)や、脱サラして妻の雪子(三浦邦子)とともに銀座でカフェを経営している河合(山村聰)といった先輩たちとの交流も続いていた。

杉山は妻の異変を感じていたこともあって、間合いを詰めようとして来る千代を避けるようになっていた。

ある晩、同僚たちが、杉山と千代の怪しい関係を糾弾しようと、「うどんの会」を企画するが、転勤話が出ていた杉山は顔を出さなかった。
「うどんの会」に遅れて来た千代は、同僚たちの吊るし上げに遭い、たまらず退出。
そのまま蒲田の家を訪ねるが、杉山は不在のため、昌子が応対。
ピンと来た昌子。
杉山が帰宅すると、千代との仲を問い詰める。
千代は、半ば錯乱状態となって杉山家を再訪。話したいことがあるからと杉山と連れ立ち、多摩川土手へ。
転勤するって、私から逃げるのね!
泣きわめく千代。

千代も最初から杉山に多少気があったのかも知れないが、所詮火遊びだったはず。
ところが、情事が露顕すると混乱して我を失い、池部にすがろうとして手に負えない。

ついに、逆上した千代から杉山への往復ビンタ。
*男から女へのビンタは『淑女は何を忘れたか』『宗方姉妹』に、すでにあった。逆パターンは小津では本作のみか?

ようよう振り切って家に戻ると、今度は、昌子が杉山を責める。
昌子は家を出て、五反田の実家や目白の富永の部屋に居候を決め込み、家に帰ろうとしない。

杉山は、三浦を見舞い、病床の当人に喜ばれる。
ところが、翌日、三浦が死んだとの知らせを受け、人の世の無常と会社員暮らしの悲哀を観じざるを得なかった。
*三浦の葬式の際にも斎藤高順の軽快な音楽が流れるのは流石に違和感がある。『大全』に「小津からの要請で、シャンソンの名曲「サセパリ」と「ヴァレンシア」を組み合わせたような曲「サセレシア」が作られ、池部良の友人の通夜の場面などで流された。悲しい画面に明るい音楽が流れているのだが‥‥小津は黒澤から影響を受けたと言って差支えないだろう」と詳説されている。

岡山の三石への転勤を決め、妻と連絡を取ろうとするが、すれ違うばかり。

単身、三石に赴任することになり、途中、大津で下車して、瀬田の唐橋の下で小野寺(笠智衆)と再会する。

二人がたたずむ瀬田川を大学生が漕ぐボートが走り去っていく。
小野寺に近況や夫婦仲を問われ、それが良くないと話すと、「女か」と詰められ、不倫のことも正直に話す杉山。
最後に拠り所になるのは女房じゃないのかい。
夫婦は仲良くせんといけない。
仲人を困らせるもんじゃない、
と諭されて得心顔の杉山。

三石は、山中の盆地だが、煉瓦の町と言われるだけあって、煉瓦工場の煙突が林立して壮観である。

杉山が転勤して、しばらくしたころ、社宅に戻ると、昌子が東京からようやく来た。
杉山からの謝罪の手紙と、小野寺からの仲直りするようにとの手紙を読み、改心したと告げる。

杉山も改めて昌子に謝り、苦難が予想される三石での生活やこれからの会社勤めへの覚悟を語り合う。
俺たちも、これからやり直そうと。

***

最初に述べたように、終盤の直前まで、どちらかと言うと、お気楽な印象のコメディタッチで進み、どうも小津らしさに乏しい。

後半過ぎの杉山の戦友たちの同窓会シーンは、大の大人が打ち揃って「ツーツーレロレロ」を大合唱する賑やかさ。
そのうち、加東大介演ずる川口で金太郎印の鍋屋を営む坂本と三井弘次演ずるラジオ屋の田辺が、泥酔して杉山の家まで押しかけるくだりは爆笑必至。
淡島千景の昌子ならずとも、呆れ果てることだろう。
*ラジオ屋が「時々テレビも組み立てる」と酔いながら言うセリフがある。

ところが、終盤になって、急転するかのように、シリアス味が増す。
三浦の死を聞いた山村聰の店主が、サラリーマンはうらやましいとカフェの客(東野英治郎)に言われたのに対して、
「出世できると言ったって、重役になれるのは千人に一人じゃないか。
子どもでも出来てみろ、生活すら覚束ない。
‥‥三浦は、会社の嫌なところを知る前に死んだんだから、まだ幸せな方かも知れない」
などと言う。

瀬田の唐橋の下で、小野寺が杉山に諭す、
「私も、どうも先が見えて来た‥‥
‥‥いざとなると、会社なんて冷たいもんだし、やっぱり女房が一番アテになるんじやないかい」
などというセリフも実感がこもっている。
小野寺は、本社に顔を出した際、またすぐ東京に戻れるでしょう、と後輩に言われると、
「いやぁ、そううまくは行かないでしょう。
島流しですわ」
と左遷人事による地方勤務から抜け出せない現実を嘆いていた。
*「島流し」の表現など現在ではコンプラ的にアウトだろう。

転勤しても、そのままハッピーとはならず、杉山は、
三石は狭い町だ。
ここで3年過ごすのは大変だぞ、
と東京から来てくれた昌子に言う。

それでも、自分たちはまだこれからだ。
やり直そう、と決意するラストは、
北野武監督の青春劇『キッズ・リターン』のラスト、
「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかなぁ?」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」
を想起させ、切ない希望と人生の哀歓を感じさせる。

思えば、コメディ基調とは言っても、池部と淡島の二人は、本作においても、ほとんどコメディを演じない。
不倫も、周囲にとってはコメディでも、当人たちにしたらコメディではあり得ない。

池部と岸の不倫を、同僚たちは面白おかしく囃し立てようとするが、当人たちは茶化すどころの騒ぎではなくなっていたのだ。

池部の岸との情事は、ありがちな一時の気の迷い、と当人も思い込もうとしているように見えるが、弁解がましい言い訳は一切口にしない。
他の作品(五所平之助監督『朝の波紋』など)にも見られる、「近代人」池部なりの男らしさのスタイルであろう。

淡島は、男まさりと言って良いのか、言いたいことを言い、思ったように行動する。

子どもを失ったことで、二人の間には、気がつかないうちに隙間風が吹くようになっていたのだ。
双方が折れることで、二人が元の鞘に戻るのも道理。
これからの苦難を二人して乗り越えよう、という意志に確かなものを感じた。

戦後10年、焼け跡こそ風景から消えたが、都心のビルはまだ低く、都会では電車が走っても地方はまだ蒸気機関車。
ようやくアパートが出始めたころで、木造の社宅にテレビ、クーラーはない。

この年、1956年10月の経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言され、翌1957年から(1973年まで)年平均10%以上を達成する高度経済成長期に突入する。

本作は、その高度経済成長に入る前夜のサラリーマン残酷物語である。

《参考》
生誕120年 没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html

耐火れんがの歴史
備前のチカラ -岡山県備前市のものづくり企業紹介サイト-
bizen-chikara.jp/history/

三石耐火煉瓦株式会社
mtaika.jp
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