垂直落下式サミング

黒帯 KURO-OBIの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

黒帯 KURO-OBI(2006年製作の映画)
3.0
師匠のもとで空手の修行に励んでいた弟子たちが、昭和初期の日本が軍国主義に傾いていく時代の流れに翻弄されながら、各々が信念にしたがって空手道と向き合っていくさまを描いている。
「空手は護身術である」という師の教えに忠実な男と、「空手は武力である」という好戦的な考えを持った男、この弟子ふたりの方向性の違いが、後継者争いの対立を生んでいく。
格闘技の本質とは、他者との勝負にあるか、はたまた自己の内面にあるか、よくある主題だけど、護身ニキの主人公は鍛練が目的化してしまっていて、それがよきことのように描かれてるのがなあ、なんだかなあ…。「武」ではないんだよなぁ…。
武術家の癖に精神面に重きをおきすぎて、勝ち負けに執着しないやつは、マジでなまっちょろい野郎だと思う。お前なんか後継者じゃねえよ。僕は格闘技を『グラップラー刃牙』の倫理観でもって判断しているから、善悪の基準がバグってることはご了承ください。
でも、そもそも「空手道」とは、人をぶん殴る技と人を蹴っとばす技を真髄とする武術だ。つまるところ、要は「素手の喧嘩が上手くなるため技術」を体系化したものである。
すべての武道の源流をたどっていけば、「武」とは、本質的に野蛮なものだってことは疑わざる事実。「礼節」とか「武士道」とか「青少年の健全な心身の発育」とか「スポーツマンシップの尊重」とか、そんなもん近代になってからの後付けだ。
いかに聞こえのよい美辞麗句を並べようとも、そもそも相手を殺傷することを目的として発展してきた技術体系であるという基盤は変えようがない。武術を身につける目的は「強くなること」だって、そのホンネを煙に巻くようなヤカラは、あんまり信用ならない。
そんな空虚な作品でありながら、空手アクションは本格派というミスマッチ。実際に名のとおった空手の有段者が役を演じており、本物の達人による演舞と実戦がみられる。素手の殴り合いシーンでは、並みのスタントマンとはひと味違う動きの良さが際立っていた。
でも、刀を抜いた軍人と戦うところはファンタジー。憲兵隊なんてエリート集団のはずなのに、剣道の基本すら出来てないトーシロなのはいかがなものか。下士官から隊長まで、なんで揃いも揃って上段に構えるんだよザコども。相手は達人とはいえ、素手相手に一足一刀の間合いで遅れをとるとか、恥ずべきことだぞ。