青二歳

バヤヤの青二歳のレビュー・感想・評価

バヤヤ(1950年製作の映画)
4.9
チェコの英雄譚“バヤヤ王子”をトルンカが歌劇に仕上げた叙事詩。80分弱の大長編。パペットアニメーションで1時間超えるなんてその制作時間を想像しただけで震える。
英雄譚といってもどこかうら寂しい世界観。母子の情は容赦なく、道化は哀しみをたたえ、なんとも言えない鬱蒼とした質感が画面に満ちている。
貧しい若者、白馬に化身した母、すべてを見守る道化…印象的なキャラクター達はみな温かい眼差しをしているが、哀しみを背負う者ならではの優しい眼差しである。抑圧された歴史からか、チェコの民話から作られたこの英雄譚は、アメリカンヒーローのような爛々とした明るい英雄はなく、ヒロインとのロマンスもただ甘いものではない。
だがそれゆえに繊細なこの物語は、80分のパペットアニメーションにして、人の気高さ、人の誇り、さらには勇敢さ、傲慢、不遜、哀しみ、怒り、廉恥、愛情、親愛、尊敬…正負のあらゆる感情を描いている。
たとえば母の身に何が起きたのか観客は知り得ないのだが、彼女が運命を受け入れるその覚悟は壮絶で、私たちは人の強さを知る。姫に失望した若者が意趣返しに同じような侮辱を姫に与えてしまうくだりなどは、人の未熟さを見せてくれもする。
人の強さ、弱さ、様々な感情、それらすべては、セリフのない細やかなパペットの表情で語られる。気高さを感じさせる人形は、トルンカの手によってまさに生命(anima)を得、美しく躍動する(animation)。


【おはなし】あらすじが短いものばかりだったので参考まで。
貧しい少年の元に、かつて家を捨て出て行った母と名乗る白馬が現れる。病弱な父を置いて、馬の不思議な導きにより彼はある王国に辿り着く。その王国は竜に襲われ王女を供え物にしろと迫られていた。
吟遊詩人に扮した若者は末の王女の美しさに打たれ歌を捧げる。姫たちはその歌に耳を傾けたが、旅の吟遊詩人など側近くに迎えられるわけもない。
白馬は息子に聖なる剣と盾を授けた。鎧をまとい騎士の姿になった若者は勇敢に戦い竜を討ち姫を救う。

末の姫と恋に落ちるも、彼は偽りの騎士の姿ではなく、貧しい身分をあるがまま明かしたいと願う。白馬に化身した母は「自分の身元を名乗ってはならぬ、耐えていれば幸福は必ずやってくるから」といい慰める。しかし若者は姫が真の自分を見てくれることを期待してやまない。

竜の禍が過ぎ去った王国では、三人の美しい姫たちの求婚の儀が執り行われる。姫がリンゴを投げ届けた男が夫の座を得るのだ。恥じらいながらリンゴを放る姫たち。末の妹は騎士を想うばかりで投げやりにリンゴを放るが、その転がった先にはあの若者が吟遊詩人の姿で立っていた。
しかし騎士とは知らぬ末娘は彼を見ず、吟遊詩人が贈るバラの花束も無碍に打ち捨て立ち去ってしまう。侮辱に恥じ入り姫に失望した若者は、砦から飛び降り命を絶とうとするも、白馬の母が呼び止める。
あくる日の騎士の大会。若者は騎士の姿で会場に飛び入り参加し見事優勝する。末娘は騎士に会えたことを喜び、恭しく勝者の冠を授けるが、若者はそれを無碍に投げ捨てる。そこには昨日同じように浅ましい扱いを受けたバラの花束が残っていた。

王国では結婚式が開かれた。二人の姉はリンゴの求婚で得た夫と共に、言祝ぎと歌舞音曲に満ちた幸せな瞬間を迎えていた。しかし末の姫には夫がいない。想い人に手ひどい扱いを受けた姫は塞ぎ込み、祝宴の席を離れひとり部屋で過ごした。
すると吟遊詩人の歌が聞こえてきた。歌声をたどるとそこにいるのはあの勇敢な騎士であった。貧しい吟遊詩人こそ想い人の騎士だったのだ。

その時不思議な力をもつ母の化身は、時間を止め、祝宴の城の中へ息子を探してやってきた。
突如お前の幸せのために自分の首を斬り落とせという母の化身。そうして初めて母は救われるという。でなければ二人とも不幸になってしまうのだと。涙ながらに母の言葉に従う若者。白馬は鳩になり飛び立った。
道化に見届けられ、若者と末の姫は城を出る。優しい道化の眼差しを背に受け、二人は貧しい家へ向かう。病弱な父は立派な姿の息子と花嫁に驚きながら息子の帰宅を喜ぶ。陽の当たらない貧しい家には幸福のともしびが灯った。
青二歳

青二歳