垂直落下式サミング

クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

5.0
敵に追われながら「タマ」を連呼して逃走するオカマの三兄弟は、世界の命運を左右するような陰謀を阻止しようとしているらしい。事務仕事の雑務へと左遷されている女刑事が、押し付けられた「変なヤマ」を解決しに、汚い資料屋から現場へと出向いていく。そしてご存知の野原一家の住む埼玉県春日部に、騒動の原因がなだれ込んで物語が動き始めるわけだ。
ここで、まだ出会う前の登場人物達が、同じ時間にそれぞれ別の行動をしている姿を淡々とみせていくことで、素性も所属も異なる彼らが、後にひとつの目的のために団結して悪に立ち向かうことになることを予感させる巧みなプロローグとなっている。原恵一らしい映画的な盛り上げだ。
劇場版クレヨンしんちゃんとしては、一作目からの本郷みつる監督から、栄光の原恵一時代に突入する重要作であり、新レギュラーキャラクターの妹ひまわりが初登場したシリーズの転換期。悪の組織に奪われたひまわりを救うために奔走する野原一家を描いており、時が流れてしんちゃんがお兄ちゃんをになったことを強く意識させる。
アニメーションで出色なのは、取り残されたひろしとグロリアが夜を明かすことになる駅のシーン。強大な敵に敗北を喫した後だというのに、世界を救うため悪との対決に向かう彼らには、考えうる限り最高の夜明けがプレゼントされるのである。ここの背景が実写のような描き込みで、ちょっと忘れられないシーンになった。
おねいさんが可愛いと安心する。オカマがいいやつだと安心する。敵の用心棒が根っからの悪人じゃないとくれば、なおさら安心だ。そんで、カラオケ好きの原作者は理不尽に殴られる。安心の4乗。「タマ」によって繋がる魅力的なオリジナルキャラクターたちが、みんな野原一家の側に付いてくれれば、だいたいのことは上手くいきそうだ。
でも、ヘクソンが強すぎて勝てない。悪役へクソンは、肉弾戦の真っ向勝負で野原一家を一度は壊滅させた強敵。超能力を持っていたり魔術を得ているわけじゃない生身の人間なのに、こんなやつ勝てないじゃんという絶望感が半端ない。かなり磐石なパーティ編成をして待ち構えてたはずなのに、それをいとも簡単に突破してくる正真正銘のフィジカルモンスターである。
ヘクソンVS七人の侍。特に官兵衛と菊千代。志村喬とミフネ。こいつらのアクションが凄まじくて、ひとりが首を薙いでもうひとりが腹部を突くなど、コンビネーションでガチで殺しにいってるのに、ヘクソンは複数人が相手でも、アニメらしからぬリアルな対人戦闘技能で攻撃のひとつひとつを的確に処理してくる。
グロリアことよねさんは、合流したときは超イキり散らしてるのに案外ポンコツで役立たず。やることなすことうまくいかなくて愛くるしい。敵にボッコボコにされるのもかわいいし、絶体絶命のピンチに悲鳴をあげて気絶しちゃうのもシコい。男勝りの女刑事とはいっても、平和な島国の婦警さんだもんね。でも、ヘクソンは相手の行動を先読みして戦うため、彼女のノーコン射撃は逆に弱点だったりするのかもしれない。「たいした腕前だ」というセリフはバカにしたわけじゃなくて、本心かもしれない。
途中までは悪役側にいる用心棒サタケは、元プロレスラーの武闘派だが子供好きのいいやつ。終盤では、悪の組織の非道な行いに嫌気がさして寝返り、チーママと戦い制圧するなどして活躍するが、口では給料あげてくれないからだって言って俗物っぽく振る舞ってみせている。このニヒルさがよき。
そしてオカマ。コメディ・レリーフではあるけれど、三兄弟は悪と戦う正義のオカマだ。非常にステレオタイプな変態趣向家としてのゲイ描写。そこには目を瞑ろう。でも、彼らはその胸の奥に自らの一族の誇りやその守るべき責務など、熱いものを秘めている。いいオカマだ。本作より前に、オカマが善玉サイドでこれほど活躍する活劇映画が他にあったのだろうか。これがはじめてだとしたら、ちょっとすごい歴史的作品だと思うのだが…。しんちゃんはジェンダーフリー。1000年近くもタマタマを外されてたら、魔王だってオカマになる。そんなの当たり前の常識である。
クライマックスで、逆上したヘクソンにひまわりが放り投げられたのをみて、なんの躊躇いもなく全員が助けに飛び込む感動。よっしゃー!万人橋が倒れたときの「ぐわええぇ…あぁっ」という力ない悲鳴はグロリアのもので、一番損なポジションでみぞおちを強打している。徹底的に残念な不憫系ヒロイン、オカマが引き上げるときのがんばれという掛け声、これでおうちに帰れると妹にお兄ちゃんを発動するしんのすけ、全部がとても尊い。
やたらと「タマ」だの「オカマ」だのとヒヤヒヤする言葉が飛び交うので、令和の時代には厳しいかもしれないが、またこのメンバーの活躍する世界線のおはなしがみたいと感じる一本。『ヘクソンの逆襲』期待してます。