ちゃんと観たの初めてかも知れない。
“ダンボ”、“デカ耳ダンボ”。
Disney+で観たけど、この手の作品にはちゃんと冒頭に差別的な表現云々の注釈が入るんだな。
今思えば、結構ガッツリ差別してるな。
コウノトリが動物たちに子供を運んでくるというとても幸せなシーンから始まり、遅れてゾウの母ジャンボのところにやってくる、小さな可愛いゾウの赤ちゃん。
「まぁ、なんて可愛いんでしょう」
「こんな可愛い子、見たことないわ」
周りのゾウも歓喜に包まれていると、、、くしゃみをして解き放たれる“大きな耳”。
そこから、“デカ耳ダンボ”の辛く険しい道のりが始まる。
もともと鈍臭いダンボではあるが、とにかくその見た目と、鈍さで、周りのゾウ達から虐げられる、虐げられる。完膚なきまでに蔑まれる。
この描写、確かに、冒頭の注釈がないと、現代には少々刺激が強いかも知れない。
母親とも離れ離れになるし、見た目で虐げられるし、サーカスでは邪魔者扱いで、なに1つ良いことナシ。
挙げ句の果てには“見せ物”に近い形でピエロと化す。
ただそんな中に、1人、いや、1匹だけ仲間ができる。ネズミ。親友、ティモシー。
路頭に迷うダンボに寄り添い、一緒に苦楽を共にする相棒、ティモシー。
たぶん、彼がいなければ、ダンボも、この物語も、最低最悪な結末になっていたに違いない。
彼がダンボに、喜びと、楽しさと、人生の明るさを。常にダンボと一緒に寄り添う。
こういう差別的な世界の中で、見た目や性格を個性だと割り切ってそれを活かす手はないとダンボを勇気づけて駆け回る。ホント、素敵なネズミ。
1941年、もう80年以上も前の映画。
そういう意味では、その手の表現はコレでもかというぐらい手加減ナシ。
だけど、映像表現もそう思うと結構スゴい。
あのゾウの“やぐら”で大騒動のシーンの迫力はすごい。
ダンボとティモシーがシャンパン入りの水を間違って飲んでからの幻覚のシーン。
これも表現方法が圧倒的。恐怖や不安、ダンボの複雑な心境や置かれてる立場、話の展開の中で1つのキッカケになるシーン。
“デカ耳”という個性が人生と世界を変える。
サーカス仲間からも虐げられ、悲しみに暮れながらも、その“デカ耳”が奇跡を起こす。
コンプレックスが力になる。不可能が可能になる。
自分を信じる力が明日を変える。
前半でかなり落ち込まされるだけに後半の飛躍がとても盛り上がる。
思いのほか露骨で、抉ってくる作品だった。
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TSUTAYA DISCAS運営の映画コミュニティサイト「Discover us」にて同アカウント名でコラムニストをさせて頂くことになりました。
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