keith中村

ミスタア・ロバーツのkeith中村のレビュー・感想・評価

ミスタア・ロバーツ(1955年製作の映画)
5.0
 本作は広義には「戦争コメディ」に属するもので、その意味では今やこのジャンルの古典ともいうべき「M★A★S★H」よりも15年も前、かつ作品内で扱われている戦争の終わりから僅か10年目に作られている、非常に珍しい作品だと言える。
 舞台となった戦争で負けた日本人から見ると、本作で描かれるアメリカ軍には全然リアリティが感じられない。
 さらに言えば、当時の日本人(戦争に行った兵士だけでなく、たとえ銃後にいても実際にその時代を生きた日本人)には、本作における軍隊の描かれ方を俄かには信じられなかったことだろう。
 一応補足しておくと、本作はアメリカ公開と同じ年に日本でも公開されているので、日本の戦争経験者もリアルタイムに観ることができた作品なのですね。
 どういうことかというと、「アメリカ軍って、こんなに適当で自由だったの?!」って驚き。
 もちろん本作はドキュメンタリーじゃなく劇映画なので、100パーセントのリアリティがあるわけはない。
 だとしても、現実から逸脱しすぎるとただの虚構になるため、一定の割合でアメリカ人がリアルだと感じる描写にはなっているはず。であるにも関わらず、日本人から見ると「こんなので軍隊って呼べるの?!」と感じちゃう。
 
 そういえば、この2年前にアメリカ映画史上の傑作のひとつ、「地上より永遠に」があります。
 AFIが選ぶアメリカ映画ベスト100の51位でもあり、「死ぬまでに観たい映画1001本」にも入っている作品ですが、「戦争を知らない子供たち」であり、敗戦後23年目にして生まれた私が「地上より永遠に」を初めて観た時も、やはりびっくりしたもんです。
 というのも、軍の風紀が紊乱しまくっている。
 「こんなダメダメな軍と戦ったのに、我が皇軍は負けちゃったの?!」
 いや、すみません。私ゃ、今どき「皇軍」なんて言うような右翼ではないんですが、印象としてはそんな感じだった。
 日本軍の特徴って(ってか、私も書物や映画の知識しかないけどさ)、良くも悪くも軍紀の厳しさと統率性じゃないですか。
 上意下達の徹底ぶりじゃないですか。
 それが、「地上より永遠に」で描かれるアメリカ軍は、なんつーか、個人主義のカタマリ。ダメダメ!
 
 だから本作もそれと同じく初見時は、「めっちゃ有名だし、大好きなジャック・レモンが出てるから観たけど、何じゃこの映画?」ってなりました。
 ってのも、ジェームス・キャグニー演じる艦長は絶対的な存在じゃないですか?
 でも、誰も従ってないのね。
 太平洋戦争(ってか、「大東亜戦争」って書くか、めっちゃ迷うんだけどさ)の日本軍を扱った作品で、こんな関係性あり得ないでしょ? 岡本喜八のハチャメチャな戦争映画だって、軍の規律は厳然と存在している前提で、それに足掻くためのハチャメチャさなんだもん。全然違う。
 
 でもさ、本作を改めて観直したのですよ。
 すると、本作を改めて見直したのですよ。
 あ、わかりにくいんで、無粋ながら補足すると、「再度観たら、尊敬し直した」って駄洒落です。
 
 やっぱ歳は取るもんだねえ。
 若い頃はわからなかった映画の見方というか、表層のストーリーじゃない「裏テーマ」が見えてくるもの。
 本作は、良識あるアメリカ人にとっての「国家論」でしたね。
 
 つまりは、「リーダーが間違っている場合には、いかにそれが絶対的な支配→従属関係であっても、"NO"を突きつけてもいい」という主題。これはアメリカにおける「国家の定義」の大前提なのです。
 
 アメリカの権利章典には、こう書いてあります。いつも通り、ここまで書くまでにすでに酒が回っちゃったんで、自分で訳すのが面倒だから、Wikipediaからもらってきたものを若干意訳するけどさ。
 「いかなる政府でも、それが国民主権の目的に反するか、あるいは不十分だとみとめられた場合、国民はその政府を改良し、変改し、あるいは廃止する権利を有する。この権利は疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることのできないものである」
 ね?
 本作における戦艦"バケツ"を「アメリカという国家(=あの国の人にはそれが全世界だよね)」、ジェームス・キャグニー演じる艦長を「政府」や「指導者」「大統領」と考えると、本作がバージニア権利章典を映像化したものだってことが、よくわかる。
 
 アメリカって良くも悪くも、すごく不思議な国家でさ。
 それは、アメリカがまだまだ若い国だってことでもあるんだけれど、国家の原則そのものが、根っこのところで国家の転覆・革命を肯定しちゃってるの。だから、アメリカの右翼思想って、じつはめっちゃ左翼思想なんだよね。
 
 だから、過去のワーナー映画でさんざんギャング(=支配的な悪)を演じてきたジェームス・キャグニーに対して、「アメリカの良心」ヘンリー・フォンダが"NO"を叩きつける本作は、アメリカにおける国家論そのものなんですね。
 あと、本作のジャック・レモンはまだまだ駆け出し。本作で助演のオスカー貰うけど、この5年後にはやっぱ「体制に"NO"を叩きつける"マンチュ"を演じた、私の生涯ベスト級映画に出てるよね。
 ってか、本作でもヘンリー・フォンダのフォロアーとして、最後に"NO"言ってたからね。
 
 この映画を日本語吹き替えとか日本語字幕で観る時に、いちばんわかりづらいのは、ポリネシアの島に「上陸する」ってニュアンスね。
 海軍の「上陸許可」って、本作でも繰り返し出てくるけど、英語では"Leberty"なんです。
 つまり、キャグニーに対してフォンダが勝ち取った「上陸」って、「自由」そのものなんです。
 だから、本作はどう考えても、バージニア権利章典の映像化。「国家が国民の自由を奪うなら、国民にはそれに反旗を翻す権利がある」っていう、かの国のファンダメンタルな思想の具現化なんですね。

 本作の公開は1955年。アメリカ人にとっちゃ、太平洋戦争も終わって、次なる朝鮮戦争も休戦してしばらく。
 本作の原作である戯曲は朝鮮戦争開戦以前の1948年の作品なんだけれど、映画としての本作の10年後には、今度はベトナム戦争に突入しちゃう。
 そっから先のアメリカの戦争(というか、代理戦争)の途切れなさは若い皆さんでもご承知ですよね。
 
 桃月庵白酒師匠バージョンの古典落語「喧嘩長屋」では江戸の長屋での夫婦の喧嘩にアメリカ人の宣教師が仲裁にやって来る。
 このタイミングで白酒師匠のアレンジが効く。
 「お前らアメリカ人ってのは、よその国の喧嘩にいっつも勝手に首つっこんで滅茶苦茶にしやがって!」
 
 本作はアメリカ海軍全面協力の元に作られた「戦意高揚映画」にも見えるんですが、実はそっから先何十年ものアメリカを予言するような、左翼的(=「権利章典」がある以上それは右翼的でもあるんだよ!)なアメリカ批判映画かもしれないな~、なぁんて読み解けたりするのも、面白いですね。
 
 最後に訛りについてだけ書いておこうっと。
 ヘンリー・フォンダは標準的なアメリカ英語。中部訛りなのかな? あと、ジャック・レモンも、例によって早口だけど、それ。
 で、兵隊たちの中には極端な南部訛りもいる。
 でさ、キャグニーだけはニューヨーク訛りなんですよね。つまり、"R"以外はアメリカ式の発音なんだけれど、"R"だけは舌を巻かないイギリス式。「ジョーズ」のオープニングでブロディ署長がふざけて言ってた「子供たちは"cah"から"fah"じゃない"backyahd"にいるよ」っていう発音ね。
 これも、ニューヨークにほど近い「政府」のある東海岸を意識してるってことなんでしょうね。
 
 最後にひとつだけ。
 キャグニーはさ、確かにノワールのボスの怖いイメージがあるんだけど、「ヤンキー・ドゥードル・ダンディー」とか、「上海リル」とか(あれ? どの映画だっけ? 「~ディガーズ」だったか「フットライト~」だったか)←酔っぱらったので調べるの放棄! の可愛さもあるから、本作でも見せ場があるかな~って思ってたら、最後までass holeなjerkの役でしたね。
 さすが、「汚れた顔の天使」! 汚れ役を1955年になってもまだ引き受けてくれるんだ!
 
 あと、「上陸許可(=リバティ)もの」は、1940年代はたくさんありましたね。
 私の大好きなのは例えば「踊る大紐育」と「The Clock」。
 前者は「博物館で恐竜(ダイナ・ショア)が転んだって?!」。
 後者は「私たちの結婚はuglyで(TдT)」。
 もう、いちいち説明するの面倒になってきました!
 みんな勝手に調べて・観て・感動してくださいな!