FranKa

ピアノ・レッスンのFranKaのネタバレレビュー・内容・結末

ピアノ・レッスン(1993年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

(1) 《声》の喪失は、ソウルメイト(フローラの父)との別離のトラウマだろうか。《声》の代わりに、ピアノが、世界との、他者との交信や表現の媒体となった、エイダ。ピアノを海岸沿いで弾く際の、解放的な表情が素晴らしい。

(2) エイダは、ベインズの何に惹かれたのだろうか。ピアノがなくとも、ともに生きていける、という確信に似た直観/直感は、どこから来たのか。

(3) 人は、変に賢くなりすぎると、自分自身と繋がることが難しくなるのかもしれない。理性的で、自身の性的欲求をこれでもかと自制しようとするスチュアートと、文字は読めなくとも、ストレートに欲望・愛・飢えを表現するベインズの対比が鮮烈だった。

(4) 相手を支配下に置こうとする愛・社会的「幸せ」を押し付けがましく訴えてくる愛(スチュアート的愛)と、距離をとってでも相手の生命や尊厳を護ろうとする愛(ベインズ的愛)の対比も、印象的だった。
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