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水俣一揆-一生を問う人々-のkogureawesomeのレビュー・感想・評価

水俣一揆-一生を問う人々-(1973年製作の映画)
4.5
フランスの作家が「これはシナリオに書けないような言葉のドラマ」だと言ったという。

土本典昭監督は「会社側の言い分をたくさん撮るのが今度の仕事だと思っていました。患者側の論理はそれまでの作品でわかるわけですから。そこ(企業)に人間がいるのか、いないのかというような関心です。」

結論から言えば、そこに「人間がいることは確かだった。」
この映画に登場する(患者達の訴えを直接聞いた)「嶋田社長は後に死の床で、チッソの工場を全部、組合と患者の管轄にしようという文章を書かせて、これを重役会ではかってくれと命じたといいます。重役会はそれを棚上げにしましたが、その文章が残っています」

1965年に水俣病が公式に確認され、メチル水銀を含んだ廃液の放出が止まったのは1968年。
1959年に熊本大学や厚生省の研究班が危険性を国や企業に報告してから約10年が経っていた。
1973年に熊本地裁が患者の訴えを認め、チッソに慰謝料の支払いを命じた。
この時期のチッソの歴代の社長は
吉岡 喜一 。1958年から1964年12月。
江頭 豊。1964年12月 から1971年7月
嶋田 賢一。1971年7月から社長を務め1978年に亡くなった。

土本監督自身が何度も見ているにもかかわらず、何度でも見たくなるシーンがあると言う。
この映画の最も印象的なシーンだ。 
 ほとんどのシーンは、「患者さんが心底、腹を立ててしゃべっている。眼前の敵に向かって『これだけしゃべってもお前は本当にわからんのか』」という激しい叫びだ。
 しかしこのシーンでは、患者側の一人が、嶋田社長の前の机の上にあぐらをかいて嶋田社長の宗旨と奥さんの宗旨を聞いた後、
「禅宗とカトリックのちがいは何ですか」と聞く。答えはなく、次に
「あなたの趣味は何ですか」と尋ねる。本を読むくらいだと答えた社長に「どんな本を読むんですか」と尋ねる。
 土本監督曰く「本当にその人に対して聞いてみたいことを普通に聞いている行為だということがよく出ています。それに対して社長も一体何を聞くんだという顔をしないで誠実に応えている」と。

石牟礼道子の『苦海浄土』を読んだ人なら、小説のセリフの元になった言葉がドキュメンタリーの中で患者の口から出てくるのに気がつくだろう。
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