horahuki

リリオムのhorahukiのレビュー・感想・評価

リリオム(1934年製作の映画)
3.7
記録です。

フリッツラング監督作。会話なんて二次的三次的で、表情と位置どりによりキャラクター同士が呼応していくのが気持ち良い。というよりところどころのユーモアやシリアスの会話センス含めて言葉は頽落的な語りに終始し、会話外に信頼を置いた構成をしているように見える。メリーゴーランドでの2人、その後の無言のカット、そしてリリオム含めた三者でのやり取りなんて最たるもの。アイレベルアングルを下方へ移すことで主観の変遷を語ったり、左右移動の在り方でその深層部分の深さを対比的に炙り出したりと、序盤は特に徹底しているように感じた。そしてその言葉と言外が本作の根幹であるリリオムとジュリーの関係性に直結し、言葉にしなければ伝わらないのではなく「言葉にしなかったあるがままの自分」はしっかりと相手に伝わっていたという温かさにグッと来る。意図的に作られた空気感を裏切ることによる強調の連続による本編突入感も好き。

何か(忘れた笑)の穴に入るより難しい的なキリストの言葉に相反する現実に異を唱えるような要素は、『メトロポリス』とも共通しているものの、一義的に留めないのがラングらしい。『M』も『メトロポリス』もそのあたりは非常に真面目に優等生的な描き方がされていたけれど、本作はキャラクターたちの真剣さとは裏腹にユーモラスな茶化しに振り切っている印象。『M』でも印象的だった音の透過性は心的空間に至る断絶として本作では印象的に要所要所で使われているように思う。

裏に回った途端にクソ野郎なリリオムが表に現れ、え?こんな感じなん?みたいになる反応とか笑ったし、その後も乳揉みベンチとかクズを絵に描いたような人物像も去ることながら、何されても全てを受け入れるジュリーのイカレ具合もたまらなかった。これが愛の力か…。遊園地でのチケット売りとのカードバトルとか、結婚後に手を尽くしてジュリーを別れさせようとする叔母さんとか、チケットおばさんvsジュリーのこれまたカードバトルとか、外部から見た場合にこの2人がどう見えるのかっていう評価軸のような意図が多分に含まれているように見え、その表面-内面の相違と一方的なレッテル貼り批判はラング作品に通底しているように思う。そしてそれは、共同体としての夫婦と世間だけではなく、夫婦同士という最も近い存在であっても同様であり、それを「言葉」と「言葉にしないもの」に呼応させて分析しているように感じる。そして何より警察と彼方のハンコの流れとか笑えるシーンが楽しい。

書き殴ってるだけなのでコメント等スルーしてください🙏
horahuki

horahuki