真鍋新一

恋の睡蓮の真鍋新一のレビュー・感想・評価

恋の睡蓮(1922年製作の映画)
2.6
淀川長治さんの『淀長映画館』という本がある。まだ頭の部分しか読んでないまま部屋のどこかで行方不明になってしまった。その本はこの映画の主演である中国系アメリカ人女優、アンナ・メイ・ウォンの思い出話から始まる。オールドファン(その本が出た頃のオールドファンであるから、1920年代に青春を過ごした世代ということになる)から、アンナ・メイ・ウォンのことがどうしても忘れられないという手紙を受け取ったことから始まる文章だった。

当時の日本でも大きな評判になったというこの『恋の睡蓮』も、つい最近(1980年代の中頃)まではロスト・フィルム=行方不明の映画だったそうだ。だから、淀川さんがファンからの手紙を受け取った時点ではこの映画を観る術はなく、その後その人は生きているうちにこの映画を再見するチャンスは果たしてあったのだろうか。おそらくなかったんじゃないかと悲しい思いに耽っていた。

そんな『恋の睡蓮』はいまやパブリックドメインとしてすぐネットで観ることができる。観ない手はない。淀川さんの文章を読んですぐに再生した。1922年の最初期のカラーフィルムの色彩が美しい。チャイナ服の鮮やかさはモノクロでは絶対に表現できないものだと思った。ハリウッドでカラー映画が主流になるのはさらに時が経ってからの話なので、1920年代にこの映画を運良く観ることができた人は、とりわけこの色鮮やかな服に身を包んだアンナ・メイ・ウォンの姿が目に焼き付いて離れなかったことだろう。

ところでこの映画は内容的な説明をすると、白人の東洋文化への憧れが先行した、潔く恋を諦めてくれる都合の良い若い女性の物語で、非常に陳腐なメロドラマと言わざるを得ない。流れ着いた土地で恋に落ちた中国人女性を捨てて、幼馴染と結婚し、どの面下げてか今度は夫婦で彼女と対面を果たす。男のほうは一応難しい顔をして葛藤しているような風ではあるが、まったく同情の余地はない。しかし下がり眉がかわいいアンナ・メイ・ウォンのことだけは、私も一生忘れることはないと思う。彼氏と一緒にアメリカに行けると思い込んで洋服を着てはしゃぐ場面も大変素晴らしい。やはり良い思い出は思い出のままにしておいたほうが良い。彼女の姿だけを目に焼き付け、他のことはすべて忘れてしまおうと思う。
真鍋新一

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