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アデュー・フィリピーヌのmのレビュー・感想・評価

アデュー・フィリピーヌ(1962年製作の映画)
4.8
テレビドラマの現場で無数のカメラや人が行き交うように、カフェのガラス窓の向こうにも車や人々が行き交う。バカンスの海辺においても、踊り呑み明かす人々の合間をミシェルたちが通り過ぎていく。
ミシェル、リリアーヌ、ジュリエットを取り囲む環境を映画が捉える時、カメラは決まって少し叩きめに上から据えられる。それは、カフェの窓外に映る景色と人物をワンカットで映すことができるし、社長にギャラを取り立てに行く際、夜の海辺の丘を登るミシェルとジュリエットの背後に波立つ海を同時に捉えることができるからだ。

この印象が、真夜中の車でミシェルが「色恋よりも大事なことがある」と女性2人に対して声を荒げるシーンに衝撃的なほどに呼応していく。作中ほとんどといって、彼らだけしか画面に映らないショットというのは無かった。初めて終盤にきて、暗闇に浮かぶようにして3人が映し出されたことに訳もわからず泣いてしまう。
兵役を間近に、ミシェルは切羽詰まった自らの余暇を楽しもうとする。ジュリエットとリリアーヌは恋心と嫉妬心と、一番は親友に対しての嫉妬(執着)という気がつかない心の複雑さによって関係を拗らせてミシェルを困らせる。初めて、あの夜の車の中で、お互いが個人として会話を交わした瞬間。「誰を選ぶのか」そんな口約束よりも、彼は「自分が帰ってきた時に誰が待っているかだ」と答える。行き交う人やカメラ、車、海、山に囲まれながら、彼が真に抱えていた心象を思い返す。そのためには、真っ暗な車の中で、下からほんのりと照らされた彼の輪郭だけが映っていること、その横に口付けする女の顔がぼんやりと浮かんでいることが、極めて重要だったのだ。

この映画はメロドラマというよりもロマンスという言葉が相応しい。そして最後の出航の見送りシーンでは、走って追いかけるジュリエットとリリアーヌを視認できる距離感で捉えていく。2人が帽子を振って、彼を見送る様子に対して、ミシェルを捉えるカメラはあくまでも彼がどのようにして2人を見送っているかは分からせないのだ。
遠く無数の人が乗り込む大きな船を客観的に捉える。彼は何を思っているのか?それでも、3人の間にはバカンスを通した確実な時間が確かにあったのだと信じたくなる映画だった。
本当に見れて良かった。
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