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東京の女のmasahitotenmaのレビュー・感想・評価

東京の女(1933年製作の映画)
3.3
小津安二郎監督が、弟のために昼も夜も働く姉と姉への悪い噂で苦悩する学生の姿を描いた心理劇。
エルンスト・シュワルツ(墺 1882–1938)「二十六時間」より翻案→実際は小津安二郎の原案。
脚色は 野田高梧と池田忠雄。
撮影は 茂原英朗。
撮影補助は厚田雄春。
今回の鑑賞は「新音声版」で、声の出演は風吹ジュンと佐野史郎。
モノクロ、スタンダード、サイレント、(1933、47分)

東京で二人っきりで仲良く暮らす姉のちか子(岡田嘉子)と大学予科生である弟の良一(江川宇礼雄)。
姉は、昼は商社のタイピストをし、夜は大学教授の翻訳をして、弟の学費を稼いでいる。
ところが、弟の恋人・春江(田中絹代)は巡査の兄(奈良真養)から、ちか子が実は夜、酒場に出入りし男の客を拾っているらしいと聞かされる。
春江はその噂を良一に話してしまい、良一はその夜遅く帰ってきた姉を問い詰め、殴って家を飛び出してしまう…。

「特ダネにはならないぜ」

弟の行動について、姉は弟が自分の思いを分からず弱虫だと残念に思い、恋人は兄から恋人に説明してもらわなかったことを悔やむ。
この映画で描かれたこと(姉弟に起こったこと)は、生活に苦しむ貧しい東京の庶民にはよく起ること、記事にもならないような些細なことだとされる。

なお、弟と恋人が観る映画は、エルンスト・ルビッチ監督のオムニバス映画「百万円貰ったら」(1932)。

~岡田喜子について、多少のコメント~
1938年、岡田嘉子は愛人の演出家、杉本良吉と樺太からソ連に亡命。
ところが、ソ連の現実に無知だった二人は、入国後すぐスパイ容疑で拘束され、引き離されて、それぞれ拷問を受ける。
拷問に耐えられなかった岡田はスパイだと虚偽の自白書を書いてしまう。
そのために、杉本への拷問は辛辣を極め、無実の杉本は1939年に銃殺刑に処せられる。
岡田は杉本の消息が分からなかったが、後年になって獄中で病死したと知らされる。
更に、本当は銃殺刑だと岡田が知ったのは晩年(確かペレストロイカ後)だったという。
愛する男を自分の証言で(結果的に)死刑に至らしめた岡田は、一度日本の地を踏むが、ソ連で生涯を終える道を選ぶ。
一時帰国した時に出演した「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(1976)の中で、山田洋次監督は岡田に次のような台詞を言わせている。
「近頃よくこう思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。
ああすればよかったなあ…という後悔と、
もうひとつは、どうしてあんなことしてしまったのだろう…、という後悔…」
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