このレビューはネタバレを含みます
1979年制作、ロバート・ベントン監督によるファミリードラマの秀作でアカデミー賞作品賞に輝いている。
ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープという二人の名優ががっぷり四つに組んだ離婚裁判劇である。
ダスティン・ホフマンは「卒業」、「真夜中のカーボーイ」、「大統領の陰謀」などを経た役者としては旬の時期に、メリル・ストリープは「ディア・ハンター」でアカデミー助演女優賞を受賞した後の出演とあって二人の演技は実に見応えがある。
特にダスティン・ホフマンは実生活でも離婚騒動を抱えていて、その分信憑性あるリアルな演技となった。
ただ、物語は幼い子供を巻き込んだ地獄のような夫婦の離婚に向けての泥試合を描いていて胸が痛む。
ダスティン演じるテッドはやり手の仕事人間の猛烈サラリーマンで家事と育児を全て妻ジョアンナ(メリル・ストリープ)に押しつけていたが、彼女も自立に目覚めていた時期でテッドに相談するも経済的に何の不自由もないとして取り合ってくれない日々が続いていた。必然、いわゆるすれ違いのある生活となるのである。
この状況はどんな家庭でもよくあるもので特別ではない。
そんなある種一般的なすれ違いから、大仕事を任されテッドの昇進が決まり喜び勇んで帰宅したその日に、ジョアンナの鬱積した不満がここぞとばかり爆発し家を出てしまう。
人生とはそんなものである。
それも5歳の息子ビリーを置いて行くというものであった。
冗談ではないと悟ったテッドとビリーの味気ない画一化された生活がはじまる。
毎朝決まりきったようにフレンチトーストが続き、ついにはミルクとシリアルとなる。
仕事には支障をきたさないと上司には約束したもののビリーの送り迎えやPTAなどで次第に仕事が片手間となり仕事上の大失態を招きとうとう上司から見限られ失業する。
そんな時ジョアンナから子供を引き取りたいとの申し出がある。
テッドは話にならないとしてけんもほろろ、ジョアンナは裁判に持ち込む。
弁護士には無職では裁判に勝てないと言われ、自分のキャリアを持って再就職に向け走る。
ゴリ押しである会社に採用されるも収入は以前より大幅ダウンしジョアンナ以下であった。
家を出る時の約束を反故にして裁判に出るジョアンナには無理があり、かなり勝手な所作ではあるがいざ法廷になると収入の多い実母が有利になるのは否めない。
ビリーとの生活で次第に心が通い合いビリーの世話をすることが生き甲斐となっていたテッドにとっては絶対に負けられない裁判であったが、「子の最良の利益」という法理原則により敗訴する。
ビリーをジョアンナが引き取りに来るその日の朝、ジョアンナは泣きながら、
「やっぱりビリーがいるべき
場所はここよ」
と、テッドに託す。二人は法廷での泥試合を封印して抱き合うのであった。
結局、大人のエゴによって家庭が崩壊し、子供が犠牲になる顛末は世界でも普遍的な事象として日々発生している。
それを修復して未然に防ぐチャンスはそれぞれにあったのかもしれないが多くはこういう悲しき結末を迎えているのが現実であり社会問題化しているのも事実である。
ところでさすがダスティン・ホフマンはこの作品でアカデミー賞主演男優賞を獲得しているが、この中で随所にアドリブを入れて展開に膨らみをもたせている。
ビリーのアイスクリームを食べる時のやり取りやジョアンナとのレストランでの別れ際でのワイングラスを割るシーンなどがそうで全く自然でリアルである。ジョアンナの演技抜きの驚きをそのまま使ったらしい。
物語の幕間に流れるアンプラグドなマンドリン協奏曲も息抜き的に味わいが出ている。
ラストシーンの夫婦としての距離が近づきホッとする安堵感は秀逸だし、やはり「子はかすがい」ということなのかなとも思う。
ならば途中の地獄のような生産性の無い醜悪な争いは何だったのかと思う。
終盤に来て例のフレンチトーストも上手く作れるようになっていたのもどこかホッとする。
そしてリアルと言えばこれほどリアルな映画もそうはない気がする。
この作品はすれ違い離婚とその後の裁判が劇的に人生を堕としてしまうのをまざまざと見せてくれるある種のホラー映画であると言ってもいいのかもしれない。