MikiMickle

白い家の少女のMikiMickleのレビュー・感想・評価

白い家の少女(1976年製作の映画)
3.5
原題 『The Little Girl Who Lives Down the Lane』
1976年フランス・カナダ・アメリカ映画。

『タクシードライバー』『ダウンタウン物語』と同じ年に公開された、若かりし13、4のジョディ・フォスターの素晴らしい演技が見れるサスペンス。

郊外の白い家で、一人きりで13歳の誕生日を祝う少女レイ。
そこに、ある中年男性(マーティン・シーン)が訪ねてくる。今日はハロウィンの夜。見回りだと言って馴れ馴れしく居座る男。父は仕事中で引きこもっていると言うレイに対して、明らかに下心が見える素振りを見せてくる。
たった数分のこのオープニングですでに緊張感が溢れる。怖い……

そして、チャイムがなった直後に急いでタバコをふかし、大人のいる気配を出すこの少女はいったい何者なのか…
母は亡くなり父と二人きりとは言うが、父の姿は見えない。

翌日、家主であるハレット夫人が訪ねてくる。我が物顔で図々しく家を嗅ぎ回る。(前述した少女愛好者フランクの母)
レイに、父と話をさせろと迫る。学校にいかずに家庭学習をしているレイに対してもかなり辛くあたる。教育委員会に訴えると。異様な高圧感。

どうやらこの街の人間はかなりの排他主義らしい。
後日、また夫人が訪ねて来る。前回よりも更に高圧的に…が、地下を探りに行った所、ある事故で亡くなってしまう。隠すレイ…
行方不明になった母の事件はレイが絡んでいると怪しむ息子はさらに変質的になっていき…

一方、レイは足の悪い青年と出会う…


最初から最後まで続く緊張感。

なんとなく、この映画は“少女怖い映画”かと思っていた。もちろんその面はある。静かに大人を見据えるレイを演じるジョディ・フォスターの瞳は、冷ややかで、何を考えているのか分からない。どういう行動を取るのかわからない。

しかし、大人の怖さもひしひしと感じる。権力と力で全てを我がものにしようとする卑劣な存在でもある。恐ろしい。

レイの瞳には、それに対する反抗と、服従と、恐怖がある。
そして、自我と自立と孤独と…
葛藤と悲しみと……時に妖艶さも…
全てが曖昧でありつつも様々な思いをんだ幼き瞳は、子供から大人へ成長していく瞳は、この映画の全てとも言える。

赤々と燃える暖炉の前で、グレーとグリーンの混ざった瞳の少女は何を思っていたのだろうか…

ショパンの悲しい調と共に余韻を残し、ストーリーの奥にある意味と、緊張感と、若きジョディ・フォスターの天才的な才能を感じる良作サスペンス。
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