猫脳髄

白い家の少女の猫脳髄のレビュー・感想・評価

白い家の少女(1976年製作の映画)
3.5
特集・Killer Kids 6/9

子役時代のジョディ・フォスターが、ほぼ等身大の少女役で主演した異色のスリラー作品。一種の不条理劇といっていいだろう。原作小説の作者レアード・コーニッグが脚本を担当し、ハンガリー系のニコラス・ジェスネールが監督をつとめた。

イギリスから詩人の父親とともに、アメリカの海辺の街に移住してきたフォスター。どうやら父親は不在がちのようで、彼女も学校に通う様子もない。よそ者への好奇心から、街の住民が入れ代わりに彼女の「家」を訪問するが、なぜか頑なに父親に会わせようとしない。そのうちに彼女の態度に業を煮やした住民とトラブルになり…という筋書き。

街の有力者でよそ者を蔑視する「家」のオーナーであるマダムとそのドラ息子(マーティン・シーン(※))、移民の出でフォスターと親交する警察官とその甥っ子らが「家」を訪問し、彼女とやり取りするシークエンスが繰り返される。秘密を抱えたフォスターは利発で自立心が強いゆえにどうにか対応してきたが、そこに綻びが生じたときに、事態は崩壊に向かって進行する。

勝手にやってくる客たちにフォスターが翻弄されるさまがまことに不条理で、室内描写の連続も手伝って舞台劇を見ているような感覚になる。彼女には本特集で取り上げたキラー・キッズたちのように殺人嗜癖があるわけではないが、子どもであり、よそ者であるゆえに、自衛のために短絡的な方法でしかトラブルに対応できないという悲しさがある。

静態的で奇妙な味の作品ではある。ラストでフォスターのクロースアップを静止画にすることなく、エンドロールの間ずっと撮り続ける。少女の内心が発露する瞬間が訪れたのかは読み取れなかったが。

※まるで息子チャーリー・シーンのようなドラ息子ぶりで、挙句ロリコンという最悪キャラである
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