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気狂いピエロのkuuのレビュー・感想・評価

気狂いピエロ(1965年製作の映画)
4.0
『気狂いピエロ』
原題Pierrot le Fou.
製作年1965年。
日本初公開1967年7月。
上映時間105分。

ジャン=リュック・ゴダールが1965年に発表し、ヌーベルバーグの金字塔的作品として語り継がれる代表作フランス・イタリア合作。

知人からゴダール作品を沢山借りたその中の一本。

『ピエロ』と呼ばれるフェルディナンは、退屈な結婚生活から抜け出したいという衝動に駆られ、偶然再会した昔の恋人マリアンヌと一夜を過ごす。
翌朝、見知らぬ男の死体を見つけた2人は逃避行を始めるが、やがてマリアンヌはフェルディナンに嫌気がさし、ギャングと通じてフェルディナンを裏切る。。。

人を殴って殺した女が男を連れて逃げていく、壁にはオアシスと書かれていた、どこかへ向かうために乗り物で移動した、頻繁に車が登場したし、車だって登場した。
船にはフランス国旗が掲げられ、トリコロール、 三色で構成されていることは前から知っていた、青と白と赤、この映画が色によって構成されているこ とを見た人は知っている。
画面には色が溢れていたし、それでもたとえば色盲の人にとってこの映画がどのように見えたのかを分からないし、知ることができない。
色によって国旗を判別することが難しいその人たちに、
どないなな映画やったって聞いて話し てみたい、まったく違った見方が存在しているはずやし、見た人によってまるで違う映画がそこに存在していてそれは同じ映画でもある。
色が溢れていた、105分間に存在する一つ一つのショットには必ず青と赤が配置されていた、これでもかっ!ってくらいに必ずあった。
ほかの色もあったかな。
登場する様々なものたちはペンキで塗られててて鮮やかな原色により息づいてもいたし、ゴダール本人が現場で塗ったかもしれないペンキに、映画が始まり5分過ぎに男はパーティーにいた。
会場は、色がついた照明によってカットが分かれてて、各々の赤や青や黄色に染まった男と女が会話してる。
車の性能について話す男と化粧品や下着の話をする女の話はいつまでもすれ違ったままでズレていた。
ただ映画監督のサミュエル・フラー(Samuel Fuller、1912年8月12~日1997年10月30日。アメリカの映画監督本人役で出てました。)が映画について質問されて翻訳する女を通して答えるシーンだけは違ったかな。
映画ってのは何か。
映画は戦場や、愛、苦しみ、 行動、暴力、死、つまり感動だ。
なんて会話はかろうじて成立していた。
他の会話がバラバラになっても映画についてだけはすれ違うことはなかった。
そして、今作品はサミュエル・フラーが語っていたような映画になっていったかな。
愛と苦しみと、そして行動と暴力と死があって、もちのろん、他のものもあった。
フラーが語っていた映画も愛やったし、
映画てのは?
愛とは何か?
なんて再確認するかのように男と女の再会がなんども形を変えて反復されていく。
画面に現れる個々の色は混じり合うこと原色のまま。
行き止って先が見えなくなっても男と女は平行線ままアクションを続ける。
まるで祈りのようにバラバラの映画身勝手の連続によって最後を迎える。
再び男は女と出会う。
死にかけた女は許してねピエロと云って、二人の出会いを請うて始まって終わった。
まだ、男は生きてた。
青赤は常に存在して、どちらかが欠けることはない。
男は死ぬことになっことはあっても混じり合うことのなかった者たちに感動が訪れる。
海と太陽は残っいた。
海太陽混じり合って白く輝いてた。
フランス国旗のようだった男とはその光景海辺見ていた見ていなかっかもしれない。
映画は終わった。
フランス出会っ男と女の話。
生まれたら出会い、出会ったら別れてやがて死ぬ。
そんな人生だった四十分経ったあたりで気分が落ち込んだ男が、希望に満ち溢れたような解放感を得て車に乗ったまま一直線で海に飛び込む。
虹が現れ、幾つもの色が現れて一瞬で消えた。
一瞬だけの希望、
    そして絶望、
自由と記憶、
    失望、希望。。。
失われた時を求めて男は存在していた。
目の前に現れた女、時を越えたマリアンヌ・ルノワール。
彼女と交わした握手、
   椅子で眠りについた女、
赤い 車、
  青い棚、
カメラの画角には男だけが収まっていた。
男の目の高さには女が描かれた絵。
男と女を同時に映し出すためにカメラ が追うと女は椅子で眠っていて男とは目が合わない。
女が目を覚 ますと一言
ごめんなさい。
彼女は謝った。
      何に?
男は望んでいた。生きていた。その他大勢。ベトコン115名。
それぞれの人生を生きていた者たち。
男と女は車に乗っていた。
助手席の女と運転席の男が再び画面に収まるのは、
それが人生だ!
ちゅうう言葉とともに、男には望みがあった。
女には望みがあった。
平行線上で二人が交わる。
二人とも生きていたし、今に分かる。

中庸、中道、そしてメソテース。
そこまで崇高な場所は望めないまでも、境界線上、小生は、そないな中間みたいなところで揺れ続けることができるならという想いが溢れている。
でもそんなことは簡単に出来ることではないし、そこに留まり続けることの困難も理解している。
それでもいつだって引き裂かれるように一(イチ)と一(イチ)の間にあるものについて感覚を持って思考を巡らせている。
今作品に登場するフェルディナンとマリアンスは振り切った身振りで対岸に存在しているであろう土地へと足を踏み入れるためにアクションを読ける。
なぜ望んでいるのか、ここではないどこかを。
ある土地に辿り着くと、男は言葉に埋もれるように本を読み日記を始める。
そこがオアシスだったんか。
女は退屈になってきた、ただ思考しているだけでは止まってしまう。
必要なのはアクション。
車を手にいれる。
燃やす。
  盗む。
   海に沈める。
       乗り回す。
対岸に行く為には来り物。
対象が必要で、それは男性にとっての女性で、車で、側にあるなけなしのものさえあれば行けるところまで行くことができた。
しかし限界はやってくる。
終わりを始めるかのように希望はすぐに失望へと変わる。
それでもアクションを止めない。
車の構造なんて知らなくても足の裏でアクセルを踏めば車は走り始める。
キスをすれば愛が生まれる。
それが全て夢だったとしてもブレーキを踏まなければ目の前の海に飛び込むことができる。
アクションを起こした対象との間で起きる現象がカメラに映し出されていく。
燃える。
  濡れる。
    色を塗る。
       文字を書く。
倒れる。
  起き上がる。
      走る。
       叫ぶ。
        煙が上がる。
消える。
  死ぬ。
   生きる。
当たり前やと云ってしまえばそれで終わることを何度も確かめ続ける。
道化師は同じことを繰り返す。
反復し続けることによって身振りはズレていく。
理解し合えないものたちの間に起こったズレによる摩擦によって熱を持ち始める。
これであなたのことを少しは理解することが出来るかもしれない。
なんて祈りのようなもの。
映画でレコードの音色何度も再生して聴こえるというシャツの男に、赤シャツのフェルディナンが出会う。
唐突な出会いで、男が誰なのかはわからない。
突然、登上した何を云っとんのかよくわからない、その男に
変だ。
と云い放って船に飛び乗るフェルディナン。
わかり合うことが出来ないものはすぐ隣にいる。
見るための目と、
聞くための耳と、
話すための口があった。
全部バラバラだった。
それらは決して分かり合えなくても一緒にあった。
フェルディナンが飛び乗った船の名前は 『元気』やった。
何もわかっていなかった、大きな波によって船は激しく揺れ続けて撮影するカメラを乗せた船もフェルディナンが乗った。
船もバラバラに揺れていた。
激しい揺れによってフレームから外れ そうになってもカメラは船を撮影したしフェルディナンも船上で 揺れ続けていた。
境界線上で揺れていて、想いが溢れた。
男は、女を撃ち殺した。
男はまだ生きていた。
云いたかったことは、なぜ、 バカだ、こんな死が、ダイナマイトが爆発して男は吹き飛んだ。
そりゃそうや。
ダイナマイトに火をつけたら爆発する、それを止めることは出来ない。
バカみたいな事実や現象が目の前にあったとしてもアクションを止めることなんてできない。
男=フェルディナンは、女マリアンヌからいつも『ピエロ』と呼ばれた。
それは何度も繰り返され、そのたびに男は『僕はフェル ディナンだ』と云わなければいけない。
男に突っ込まれても、女は
『ビエロ』
と呼ぶことをやめない。
そして男も
『フェルディナンだ』
と云うことをやめることはない。
ずっと平行線。ーーーーーーー
ディスコミュニケーション、 このやりとりは反復され途切れることなく、女が息をひきとるその瞬間まで続いていた。
死ぬ前に女が発した最後の言葉は
『許してねピエロ』。
マリアンヌはしつらこい。
『フェルディナン』や。
フェルディナンもしつらこい。
マリアンヌは死んだ。
フェルディナンが殺した。
どちらかが死ぬまでこのやりとりは永遠に続いていく。
たとえ死んでも、映画を再生すれば繰り返される。
これが映画なんやろな。
ゴダールが監督したこの映画がどこかの誰かの記憶に残る。
ゴダール自身の記憶から消えたとしても、見た夢はどこかに残っている。
映画ちゅうモン自体がこの世界から消滅したときには消え去ってしまうかもしれへんが、それでも男と女が記録された。
声が聞こえ、音になる。
痕が残っている、混ざり合うことがなかった絵の具がパレットに置き去りになっているように、女は血に見える赤い絵の具を顔に塗りつけた。
アクションは生きている限り続いた。 カットが、かかっても止まることはない。
男は、血に見えない青い絵の具を顔に塗りつけた。
つまり、これから男が死ぬことになるのを見た人は知っている。
これはゴダールの作法。
赤があって青がある。
青があって白がある。
白があって赤がある。
いつだって、混ざり合うことなくそれぞれの個は隣り合っていてそれらが並び合うことによって、世界は間違いなくそこにあった。
男が叫んだ。
ダイナマイトが 爆発。
煙が上がる。
海と太陽があった。

タイトルは

『気狂いピエロ』

やった。
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