Jeffrey

聖週間のJeffreyのレビュー・感想・評価

聖週間(1995年製作の映画)
4.5
「聖週間」

〜最初に一言、アンジェイ・ワイダ監督が抵抗三部作の戦争映画に再度回帰した記念すべき今亡き岩波ホールで上映された傑作の1本である。見事に祖国ポーランドの苦心に満ちた社会状況を描ききって、キリスト教の復活祭前の1週間を丁寧に描いた民族の問題とともに極限状況のもとで、果たして人間は何をなし得ることができるのかと言う普遍的なテーマを強く訴えかけたワイダの静謐な力作だ〜

本作は1996年ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞したワイダ監督の復活祭の聖なる1週間にゲットーから訪れた招かれざる客を描いた人間ドラマで、イェジー・アンジェイフスキが彼自身の実体験に基づいた原作を巨匠アンジェイ・ワイダが、30年来温めていた企画を実現させた作品。ポーランド・フランス・ドイツ合作で、国内ではいまだに円盤化されておらず、この度VHSを購入して初鑑賞したが素晴らしい。ワイダの出世作「灰とダイヤモンド」の原作者の実体験をワイダが脚本も務め、主演は映画初出演の舞台女優ベアタ・フダレイが最高の芝居を見せてくれている。この作品はポーランドの忘れ得ぬ悲劇の真実に迫り、人間の尊厳と苦悩を見つめた感動の名作になっている。

これ発行が朝日新聞社になってて、提供がエース・ピクチャーズ、販売元がポニーキャニオンになっているのだが、IVCあたりで円盤化してくれないかな…。やはりアンジェイワイダ監督は、祖国ポーランドの苦渋に満ちた社会状況を個人的に彼の最高傑作と思う「地下水道」と「灰とダイヤモンド」や「大理石の男」といった映像に託して表現し続けてきた事は言うまでもないが、1989年に共産党政権が倒れるまで、厳しい検閲のため思うように制作できなかった監督は、新政権誕生後、90年代初期の監督のモノクロームの傑作「コルチャック先生」、そして「鷲の指輪」、長年温めていた作品を相次いで発表している。本作も、構想後、30年余りの歳月を経てついに完成したのだ。

この作品は、「灰とダイヤモンド」の原作者がナチスドイツ占領下、激化する抵抗運動の生々しい体験の中で書き、1945年に発表した同名の中編小説をもとにしている。この小説に描かれた事は、原作者が実際に目撃したことになる。聖週間とは、春、キリスト教の復活祭前の1週間、イエスキリストの受難、復活を記念し、祈る期間のことを指す。復活祭は、春分後の満月の次に来る日曜日に行われる。1940年には、すでにポーランドを制圧していたナチスは、ユダヤ人をワルシャワや、各地のゲットー(ユダヤ人隔離居住地域)に強制的に押込め、死の収容所に送り込んだ。43年4月19日を期して出された最後のユダヤ人絶滅ゲットー破壊作戦の指令に対して、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人は武装蜂起した。聖週間は、蜂起が始まった4月19日(聖週間の月曜日)から23日(金曜日)までの間に、ゲットーの外で起きた出来事を描いている。

ナチスの布告により、許可証なしにゲットーを離れたユダヤ人は死刑の対象となり、ユダヤ人に隠れ場所を提供した者や、それを知りながら密告しなかったものも同罪であった。このような状況の中で、ポーランド人は、死に追い詰められたユダヤ人に何をしたのか。ワイダ監督は、当時ポーランド人がユダヤ人に対してとった行為を、ワルシャワ郊外の一軒の屋敷を舞台に、抑圧した表現で見事に描き出している。そして、民族の問題とともに、極限状況のもとで、果たして人間は何をなし得るのかと言う普遍的なテーマを強く訴えかけている。この作品のキャスト三人は映画初主演で、脇役には「コルチャック先生」でも出ていたポーランドの名俳優のプショニャックが出演している。主人公のイレナは、実在の人物で今も健在であり、ヤンは原作者自身と言われているそうだ。前置きはこの辺にして、物語を説明していきたいと思う。

さて、物語は1941年のナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策により、ユダヤ人はガス室に送られ、ユダヤ人をかくまった人々も処刑されていた。そしてナチスのゲットー破壊作戦に対して、43年4月19日月曜日に、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人は武装蜂起した。白桃の林の中を、ユダヤ人たちが連行されていく。知人の家に隠れていた、ユダヤ人女性イレナとその父親が、草むらからそれを見つめている。父親は絶望のあまり、彼女の静止する声も聞かずに、目の前の列に加わって行った。その後ゲシュタポに危うく連行されそうになったイレナは、金貨を渡して難を逃れた。そしてゲットーの外側をさまよううちに、銃撃戦が始まる。イレナは逃げ惑う中で、昔の友人ヤン・マレツキと再会する。かつて彼女を愛していたヤンは、彼女を自宅にかくまうことにする。

ワルシャワ郊外の屋敷の2階がヤン夫妻の住まいである。ヤンの妻アンナは、敬虔なカトリック教徒で、2ヶ月後に出産を控えていた。時々泊まりに来るヤンの弟ユーレックは、少年たちを集めてゲットー内で抵抗運動をしている。1階には大家ザイモスキと使用人が、3階にカルスキ少佐夫人が息子ヴォッデックと娘とともに住んでいた。ヴォデックは、ユーレックを慕いともに抵抗運動に参加している。地下には、いつもぶらぶらしている闇屋ピョトロフスキーと口うるさい年上の妻が息子と住んでいた。遠くワルシャワ市街に火の手が上がり、銃声が絶えず鳴り響き、人々は不安を募らせていた。アンナは、夫の昔の恋人と知りながらもイレナを助けるが、心の葛藤を隠せなかった。ある日、イレナは不用心にも2階のベランダに姿を現し、屋敷の住民たちに隠れていることを知られてしまう。

周囲でユダヤ人狩りが進行する中、屋敷はにわかに騒然となる。ザイモスキに問いただされたヤンは聖週間の間だけだからと言って大家を説得する。一方、ユーレックは、ゲットー内の抵抗運動に参加する前、21日水曜日の午後に、アンナを訪ねてきた。もう戻らないかもしれないと言って立ち去る義弟を止めることができず、アンナは1人苦悩するのだった。4月23日聖金曜日、復活祭の休暇に入った。アンナはミサに出かけ、ヤンも外出していた。以前からイレナに近づくチャンスをうかがっていたピョトロフスキーは、ヤン夫妻の留守を狙って部屋に押し入る。逃げることも、叫ぶこともできないイレナは、レイプされそうになる。その時、3階のベランダから身を乗り出していたカルスキの娘が、下に落ちて気を失ってしまう。ピョトロフスキーの妻はイレナ罵り、お前がいるから不幸が起こると言って屋敷から追い出そうとする。

イレナは、あなたたちも私たちのように焼き殺されるがいい、と捨て台詞を残して去っていく。その頃、ヤンはイレナの以前の隠れ屋に荷物を取りに行っていたが、前から彼をつけていたゲシュタポに銃殺されてしまう。ゲットーにはまだ戦いの火がくすぶっていた。イレナは、ユダヤ人を駆り立て終えたドイツ兵達とすれ違い、煙の向こうに消えていった…とがっつり説明するとこんな感じで、美しい森の中の悲劇を見事に描ききった傑作である。今思えば89年にポーランドの共産主義体制が崩壊した後から監督は再び戦争の時代をテーマに描き始めているなと思う。抵抗三部作以降も扱ってきたが、突如90年代に入ってから3本の戦争映画を制作している。後に2000年代に入って「カティンの森」で彼の最も描きたかったであろう集大成が作られているのも納得である。

そして残念ながら岩波ホールが閉館してしまったニュースを聞いて心痛めているが、ワイダの作品もほとんど岩波ホールで上映されていたのが懐かしく感じる。本作もそうだし、「カティンの森」も「コルチャック先生」「鷲の指輪」その他…。確か読売新聞記者の土屋好生氏だったと思うのだが、その人がこの作品を見て原作者の出版当時のものを監督がすぐに見て、すぐに映画化を考えたと話していた。具体的に動き始めたのは68年で、検閲官と激論の末、ポーランド人の否定的な部分を描いているとして却下されて70年代の後半に再度映画化を申請したところ、今度は原作者が反対制組織に入っているとの理由であっさり門前払いを食ってしまったそうだ。当時の共産主義政権は、過去を掘り起こされた上、ユダヤ人問題に触れられたくなかったに違いないのだろう。

かつてワイダは、不良少年の内面の変化を追った「世代」や、大学生の苦悩と絶望を見つめた「サムソン」などでユダヤ人を描いた事はあったし、真っ正面からゲットーのユダヤ人を取り上げたのは「コルチャック先生」から…。ただそれは、ゲットー内部の教育者と子供たちと言う限定された状況下におけるユダヤ人だったが、今度はポーランド人とユダヤ人の関係そのものを考察すると言う極めて難しい歴史的な命題に挑んでいる。そもそもポーランドにおけるユダヤ人問題は、19世紀のポーランド反乱をめぐる解釈を持ち出すまでもなく、それ以前から双方の間で歴史的な確執が続いている。ポーランド人にとっても、ポーランド国内のユダヤ人にとっても、目に見えないわだかまりがあったそうだ。それが反ユダヤ主義論争にまで発展する前に芽を摘み取っておこうとしたのが、共産主義体制下の検閲官だったと言うことだろう。

体制が覆され言論の自由が保障された今、ワイダは論点をより明確にして正面から物事をはっきりと、そして問題を提起している。ポーランドにおける反ユダヤ主義については、監督自身も過去に様々な追求を受けていた。「約束の土地」では、米国でいわれなき非難を浴びたし、「コルチャック先生」の時は、フランスでスキャンダルの渦に巻き込まれていた。しかし「コルチャック先生」の場合はエンディングによっての解釈の違いによってだが、そもそもナチス占領下のワルシャワで、ポーランド人はナチスの魔の手から逃げ惑うユダヤ人にどう接してやのかと言うのが問題である。ナチスがポーランドにユダヤ人強制収容所を作ったのは、ポーランド人が反ユダヤ主義的で心情的にそれを受け入れたからだと言う一方的な論議について、ワイダは当時日本で公開された際に来日しており、その際にそれはー部の政治家の発言で全く理解に苦しむ。歴史的な事実として強調しておきたいのは、ナチスのユダヤ人絶滅作戦は機械的なもので、当時ポーランドに約300万人いたユダヤ人を他国に運ぶより国内に収容所を作った方が効果的だったからそうしたのだ。

それはポーランドの反ユダヤ主義と結びつけるとは信じ難い議論だと話していた事がある。この映画が描くのは、ユダヤ人絶滅政策を強行するナチスに対してワルシャワゲットーのユダヤ人が武装蜂起した43年4月19日から5日間の出来事。それは、カトリックで言う復活祭前の春の聖週間にあたる。ゲットーから逃れてきたユダヤ人女性を、彼女の昔の恋人で今結婚しているポーランド人男性が、自分のアパートにかくまうと言う話。敬虔なカトリック教徒の身重の妻や、ゲットーで抵抗運動を続ける弟は動揺隠しながらも協力的だが、アパートの住人は次第に彼女の存在に気づいて騒ぎだす。戦争と言う極限状況の中でより鮮明に出てくるその差別と偏見を、人間としての尊厳を持っていかに乗り越えていくか。43年のポーランド人とユダヤ人の関係は、パレスチナとイスラエル、旧ユーゴスラビアの内戦など人種や宗教に関わる現代の政治紛争に行つき、さらに21世紀の人類にまで永遠の命題として引き継がれている。

やはりワイダにとっては戦争と言うのは13歳の時に始まって、19歳で終結を迎えているので、その間、39年の騎兵隊の戦いやナチス占領下のレジスタンス、44年のワルシャワ蜂起に45年の開放前後の戦いと共に生きてきているので重みを毎回感じる。彼自身地下組織に属していたもののさほどの活動歴は無いのだが、戦争を描いた抵抗三部作は、かなり英雄的で感動的な人生に対する作風だった。だからこの作品はいわゆる抵抗三部作の「地下水道」の前の話と言うことになる。さて、ここからは印象的だった場面を説明していきたいと思う。まず冒頭の森の中でユダヤ人たちが黄色い星を付けたコートを着て列をなして連行されていく場面は正にアンジェイ・ワイダの作品そのものだった。

そこから間もなくして不穏な空気に包み込まれる。文字化された説明文が映像のど真ん中に表示され、バスの中で銃弾に倒れて死ぬ男がいるにもかかわらず、乗客は騒ぎもせず冷静沈着でいる。これが当時のポーランドの状況なのかと思わせるシーンだった。そして終始、銃撃戦の音が聞こえ、爆発、建物から火が吹き出て火災している場面を手持ちカメラで荒く映し出す。それをイレナが静かな眼差しで見つめる。やはりドイツはヨーロッパの多くの国を占領してきているが、その中でもほぼ同じ政策を遂行しているのは間違いないのだが、例えばヒトラー主義、他の文化の抑圧と言う政策なのだが、ポーランドだけはやっぱり違ったのだろう。

総督府と言う領域が設けられ、その中ではもしユダヤ人を匿えば、と言うより、ユダヤ人が隠れている共同住宅があれば、たとえかくまっている人以外の人は、その事実を知らなかったとしても、ユダヤ人をかくまっていたものと同様に、そこの住人全てが連帯責任を負われると言う条件が定められて、その結果、住民のモラルは非常に複雑な状況に置かれることになったんだなっていうのがまずわかる。すなわち、誰か1人があるユダヤ人を助けようとして、自らその危険を背負い込もうとしても、そっくりは同時に、同じ場所に、同じ屋根の下で暮らす他の人々も危険にさらすと言うことになる。だからといって、ユダヤ人を救済するのに、いちいち他の人々に意見を聞いてから、彼らの同意を得てから決意すると言うわけにもいかないだろう。なんとも不条理というか屈辱的なアレなんだろうと感じた。

「聖週間」を観てつくづく思うのが、ナチスのユダヤ人迫害の映画かと言うのは当事者同士の対立を問題にしたものが多くあるが、本作品は正面切って押し出す普通のポーランド人たちの日常を通じて、外から見ている、外から見ていると思っていた人々の中に、1人のユダヤ人女性が入り込んでくるために、もはや不条理な恐怖が押し寄せてくると言う感覚に陥ってしまい、時代の悪と関係を持たなくてはならなくなった人々の、揺れ動く心を描ききっているなと思う。と言うか、この映画に出演している人たちは凡そこうした時代を体験した人ではなく、想像するのは難しいだろう。時代の生き証人であるアンジェイ・ワイダ監督が一体彼らに何を伝えようとしているのか、そうしたことを理解すると言う難しい課題に対して、彼らは自分が何も知らないだけに、なおさらより一層想像力を働かせ取り組んでいるのが映画から分かる。


最後に余談だが、本作品が日本公開した際に監督は来日(96年10月26日に銀座ヤマハホールでの高松宮記念世界文化賞受賞記念特別上映会舞台)しており、世界文化賞受賞している。その受賞が機縁となって、天皇陛下にお目にかかることをを大変な幸せに恵まれたと喜んでいた。自分の人生で最も忘れがたい1日となったと対談の時に話していたことが今でも忘れられない。それに、当時のヨーロッパでは会場が埋め尽くされるほどの現象はほとんど起こらず、日本の会場では満員状態になっていたことをすごく感動しているとも言っていた。ワイダは親日家でも知られており、この世界文化賞は、北欧の巨匠ベルイマン、イタリアの巨匠フェリーニ、日本の黒澤明、マルセル・カルネと言った、国民映画の制作に一生を捧げ、働いてきた映画芸術家たちに与えられてきたもので、監督自身もそれをもらって意義を感じると話していた。彼らは常に祖国の言葉で映画を創造してその映画は、彼らの祖国を主題としたものなのだろう。
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