風に立つライオン

必死剣 鳥刺しの風に立つライオンのネタバレレビュー・内容・結末

必死剣 鳥刺し(2010年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

 2010年制作、原作藤沢周平、平山秀幸監督によるヒューマン時代劇作品である。

 およそ時代劇の中でも、いや古今東西の映画の中でも稀に見る意外性と衝撃度を持った「起」の描写である。

 藩主と側室、家中一同が城内で能を鑑賞した直後、廊下に控えていた一人の侍が退出する側室の前に進み出て「ごめん!」と言いながら脇差で胸を一突きにする。
 側室は目をむいたまま声も立てずに倒れ込む。
 冒頭から能という静寂の芸能からの一転した衝撃的な場面展開は一気に物語に没入させてくれる。
 藤沢周平ではお馴染みの東北の架空の小藩・海坂藩が舞台である。
 氏の原作時代劇の映画化は「蝉しぐれ」、「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」、「武士の一分」などに続くものであるが、彼の作品には封建的で格式ばった武士の世界の中に一服の清涼剤とも言えるヒューマニズムが通底している。
 その作風には人間や組織の持つ普遍性が旨味のように下味に使われていて時代、世代を越えて琴線に触れる趣きがある。

 冒頭のこの衝撃的な「起」の発出から「何故に」という疑問に取り憑かれる。
 そこから謎解きの回想場面が展開し始める。
 藩主右京太夫は我がままな側室連子に入れ上げ、彼女にそそのかされるままに出鱈目な藩運営を続けてきていた。見兼ねた重臣が諫言しても逆切れして切腹させられたり、重税にあえでいた百姓達が一揆を起こすなど藩政は乱れに乱れていた。
 封建的な社会ではバカ殿に仕えると手に負えない悲劇的なものになる。
 そんな折、妻に先立たれた兼見三左エ門(豊川悦司)が出鱈目な藩主を諌める為に命を賭して件の行為に及んだのであった。
 そこまでの覚悟であるならば、根本原因の藩主をターゲットにという線もありうるが、あくまでその藩主を惑わしている者を取り除く行為にでているところはバカ殿と言えども藩に仕えて生業を立ててきた侍の一片を感じ取れる。
 かくして斬首、切腹かと思いきや中老の津田(岸部一徳)の嘆願により一年間の蟄居閉門と降格という軽さに収まったのである。
 この意外性には裏があることが後に語られる。

 三左エ門は一年間のこの意外に軽い沙汰に戸惑ったものの、それに背かず家の離れに籠る。
 それを甲斐甲斐しく世話をするのは妻の姪にあたる里尾(池脇千鶴)であった。

 その後も藩主は身勝手極まりない藩政を続け、農民は疲弊に喘いでいた。
 こうした中、別家で藩主の従兄弟にあたる帯屋隼人正(吉川広司)は常々藩主を諌めてきていた。
 藩主としてもなんとも煙たい存在であり、謀反も危惧されていた。

 そんな中、兼見の沙汰も終わり、彼が秘剣を会得していることを承知していた津田は彼に藩主のそばに仕える近習頭取を申し付ける。
 右京太夫は何かにつけ兼見を嫌って暴言を吐いていたが、たまりかねた兼見が近習頭取の退任願いを申し出ても聞き入れられずにいた。

 そしてある雨の日、隼人正が謀反を起こし登城してくる。
 兼見は役目柄座敷で迎え討つ。死闘の末に手傷を負いながら辛くも隼人正を倒すが、その直後に津田の命が下る。
  「御別家を殺めた乱心者を切り捨てい!」

 殊勲は兼見と思っていた仲間の家臣達もためらいがちになるが藩命ともあらば是非もなく、一同は兼見に襲い掛かる。

 中老津田の思惑は帯屋の謀反を予見し腕の立つ兼見を藩主の用心棒として利用し、有事の後生き残った者をも抹殺しようというものであった。
 岸部一徳はこの狡猾・冷徹さを顔色ひとつ変えずに演じて見事である。

 邸内での死闘の末に、絶命寸前となった兼見は右京太夫と津田が座敷に現れたのを見るや満身創痍で座敷に這い上がるのを後ろから家臣に突かれ突っ伏したまま絶命する。

 そこに津田が歩み寄るが、その瞬間必死剣鳥刺しが出現する。‥

 壮絶な最期を遂げた兼見三左エ門であるが、えげつない武士社会にあって組織の冷徹さや惨さが描かれていて救われない終幕と思いきや里尾が兼見の子を宿し生まれた子をおぶりながら兼見の帰りを待っている絵は悲しいが命が繋がれていたことに少しホッとしたものである。

 豊川悦司も寡黙で冷静ながら情のある武士を好演している。

 堅固な封建的縦社会構造にあった江戸時代は勿論、現代に於いても社命には逆らえず不正義を行う輩は多い。
 この物語は命を賭して管理責任者を諌めようとした男がいたこと、そしてその能力を邪悪な思惑から利用しようとした上席者がいた悲劇を語っている。

 物語が俄然精彩を放つのは生身の人間達を描きながら諍うことができないヒエラルキーの中での悲哀とそれを癒やす愛が誠実に描かれているからではないかと思う。