1955年制作、ヴァレンタイン・デイヴィス監督・脚本による音楽映画の秀作である。
自分でもビッグ・バンドに参加していることもあり、昔から何回となく鑑賞してきている。
ヴァレンタイン・デイヴィスは前年に「グレン・ミラー物語」の脚本を手掛けているが、私にとってこの2本はノスタルジックでウオーマーな同じトーンと味わいを持った音楽映画で、このジャンルに於ける飛車角と言っていい存在でもある。
アメリカはシカゴの出身で裕福とは言えない家に生まれながらも男の子3人兄弟の末っ子として両親に愛情深く育てられた。
情操教育の一環で父親に導かれ街のクラッシック音楽教室に兄弟3人で通い始めるところから物語が始まる。
先生から楽器を当てがわられるが体に合わせて上の兄達はチューバにホルン、ベニーはクラリネットであった。
兄達に交換をねだるがけんもほろろ、不足顔で仕方なくクラリネットで我慢をすることになる。
皮肉なものでここで交換が叶っていたらクラリネットと言えばベニー・グッドマンという世界的名声は生まれなかったかもしれない。
クラシック畑から出発したものの、アルバイトで蒸気船内のディキシーの大御所キッド・オーリーのダンスバンドに接したことからディキシー・ランド・ジャズの面白さに触れることとなる。
元々クラシックの高難度な教則本を難なくこなしていたレベルにあったベニーだが、楽譜も無くお互いの呼吸と自由なインプロヴィゼーションの楽しさに一気にハマって行く。
クラシックの先生からは「辞めなさい!そんな下品なもの」と諭されるが一向にお構いなし。何しろどんなバンドでも引っ張りだこでもあったし、何よりも金になったのである。
こうしてメキメキと頭角を現し、ベン・ポラックBig bandで全米の巡業に加わり実力をつけていくこととなる。
ベニーを演じているのはスティーブ・アレンでTV司会者が本業の分、平板な演技に終始するものの、恋人役のドナ・リーは清楚で美しく物語に起伏を付けるのに貢献している。
そして何よりも彼の産み出した綺羅星の如くの名曲の数々が楽しめるし、キッド・オーリーやベン・ポラック、ハリー・ジェームス、ジーン・クルーパ、テディー・ウィルソン、スタン・ゲッツ、ライオネル・ハンプトンなどが本人役で登場するのが何より嬉しい。
そして後に編曲を担当する様になるフレッチャー・ヘンダーソンがベニーの楽曲に初めて触れるシークエンスがいい。
街角を歩いていたフレッチャーはふとタクシーのラジオから流れてきたベニー・グッドマン Big bandの「Let's Dance」を聴き、思わずタクシーに乗り込む。
運転手が「旦那、どちらへ」
と聞くとフレッチャー曰く「ど
こでもいい。この音楽を聴いて
いたいんだ」
と、
これってよく分かる。自分の好みや探していたサウンドに触れると、後先考えず聴いていたくなる。なぜそういう反応になるのか自分でも上手く説明できない。
フレッチャーはその足でラジオ収録中の会場へ出向き、ベニーに話す。
「貴方の音楽はニューオリンズの
味がありながらも何か新しいも
のがあります。私の追い求めて
きたサウンドに近い本物のフィ
ーリングがある。是非とも編
曲をやらせてください」
「グレン・ミラー物語」でも描かれているが、モノマネだけに止まらず、自分だけのサウンドを
創り上げることの重要さをアメリカ文化は常に要求する。
そしてベニーの楽曲はこのフレッチャー・ヘンダーソンの編曲を得て俄然精彩を放ち始める。
「サボイでストンプ」あたりから人気もうなぎ上りとなり、全米巡業が始まる。
ある会場ではダンスバンドとして「One o’clock Jamp」を演奏するも、会場の客はダンスを止めて聴き入る始末。
メロディアスでダンサブル、おまけに小気味が良いとなれば然もありなんである。
そして伝説となっているカーネギーホールに於けるコンサートを迎える。
圧巻はやはり「Sing SingSing」
音楽映画としては、シンプルかつ素直に語られていて分かりやすいが、現代の感覚からすると物足りなさはあるのかもしれない。ましてやオールド・スイング・ジャズに興味が無ければなおさらである。
私にとっては数々の名曲を味わえるノスタルジックでレトロ感溢れたクリスマスの晩に観るようなアットホームな映画として捨てがたいのである。