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アメリカン・サイコのkuuのレビュー・感想・評価

アメリカン・サイコ(2000年製作の映画)
3.8
『アメリカン・サイコ』
原題 American Psycho.
映倫区分 R15+
製作年 2000年。上映時間 102分。
衝撃的な内容で話題となったブレット・イーストン・エリスの小説を"I SHOT ANDY WARHOL"のメアリー・ハロン監督が映画化したサスペンス・ドラマ。
主演のクリスチャン・ベイルは、『アメリカン・サイコ』の小説とパトリック・ベイトマンのキャラを正しく理解するために、広範囲にわたって研究したそうです。
ベイトマンのミステリアスで不穏な雰囲気を出すために、撮影中は他人と距離を置くって徹底さ。
身体もかなり仕上がってる。
彼が様々な体格や体型に変身するようになったのは、この作品からって云えるんちゃうかな。
『サラマンダー』(2002)、『マシニスト』(2004)、『バットマン ビギンズ』(2005)、『戦場からの脱出』(2006)、『ダークナイト』(2008)、『ザ・ファイター』(2010)、『ダークナイト ライジング』(2012)、『アメリカンハッスル』(2013)、『バイス』(2018)、『フォードVSフェラーリ』(2019)等々。

80年代のニューヨーク。
27歳のハンサムなヤッピー、パトリック・ベイトマンは一流企業の副社長。
高級マンションに住み、美しい婚約者もいる彼は一見誰もが羨む生活を送っていた。
しかし、彼の心の中には深い闇が広がっており、突如襲う衝動に突き動かされ、夜の街をさまよいホームレスや娼婦を殺害していたのだった。。。

今作品は、我々自身の歪んだ視点や現実からの切り離しについて考察してる。
余談ながら、村上春樹は今作品の原作について、『作品としての評価は完全にわかれているけれど、社会的状況資料としてこれくらい自己犠牲的にシニカルで本質的な小説はちょっとない』と述べている。
パトリック・ベイトマンのように、我々は他者からの承認を渇望し、空想と現実を区別する能力を自ら否定しているのかもしれない。
今作品でベイトマンがカタルシスを得られず、自分だけの地獄に閉じこもるのは、自分が殺人犯であることを確認するために、他のヤッピーの承認を必要とするからなんちゃうかな。
ちなみにヤッピー(yuppie)は《young urban professionals(若手都会派知的職業人)+-ieから》米国で、第二次大戦後のベビーブーム期に生まれた世代で、都会やその近郊に住んで知的職業に就いているエリート青年を云う。
皮肉なことに、ベイトマンの本当の犯罪は空想の産物なのかもしれない。
自分の現実を認めないことが、ベイトマンをさらに狂気と実存的絶望に追い込んでいく。
ヤッピー文化、
アイデンティティの融合、
そして表面的な均質化社会から際立つことへの渇望などが彼を駆り立てる。
ベイトマンの世界に対する解釈は、膨張した自我と明らかな精神病。
さらに、おそらく複数の精神疾患によって歪んでいる。
ベイトマンは殺人者やけど、それでも自分が思っているような殺人者ではなく、精神がおかしくなるにつれ、現実と空想の区別がつかなくなる。
彼の大げさなチェーンソー虐殺スタイルの殺人は、部分的な真実を美的に精緻化したものかもしれないが、最終的にこの映画は気にしない。
この映画の不条理さのもっと重要な点は、彼の社会ではベイトマンはサイコではなく、現実から切り離された思いやりのない、ひそかに不満を持つアメリカのサイコの大群の中にいる、もう一人の普通の男でしかないということ。
ベイトマンの周りには、ドーシアの無理な予約や名刺の素材の良さなど、間違ったことばかりに執着する同じような考えの表面的な人々がいる。
均質化された上流階級のエリートの中で、アイデンティティは曖昧になり、誰もが一般的でありながら非常に特殊な成功のイメージを追い求めるようになる。
ベイトマンの会社で見かける人たちは皆、同じ人間に見えるのはそう描いてるんか否かはわからない。
また、今作品における消費主義や物質主義に対する鋭い社会批判は、この映画の最も強い側面のひとつであり、登場人物たちの外見や物欲に対する浅はかな執着は、社会の道徳的崩壊の隠喩として機能している。
ベイトマンを演じたベイルの演技は、魅力的でありながら、不穏でサディスティックな性格を完璧に体現しており、魅惑的というほかないかな。
撮影の面でも、今作品は今でもスタイリッシュで視覚的に美しく、その洗練されたモダンな美学は、登場人物の人生の過剰さと空虚さを完璧に表現しています。
また、サウンドトラックも特筆すべきもので、80年代の人気曲を使用することで、この時代の表面的な部分に対するコメントを追加している。

※今作品の社会批判とスタイリッシュなトーンは大きなセールスポイントやろけど、その生々しい暴力と露骨な内容は万人受けするものではないことに注意する必要があると思います。
今作品の殺人と切断の描写は、プロットと解説に不可欠やけど、一部の視聴者には激しすぎるかもしれません。

今作品の淡々とした挑発的な性質は、そのインパクトと有効性を証明するモンやけど、一部の観客を遠ざけてしまう可能性もあるけど、個人的にはは考察を求める作品で面白いです。
kuu

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