まりぃくりすてぃ

プラハ!のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

プラハ!(2001年製作の映画)
4.1
明ケマシタラ オメデトウゴザイマス♪

東欧民主化の約十年後に真に健やかな未来を願って創られ、チェコ国民の二十人に一人が観たといわれる大ヒットミュージカル映画。「百回観て百回泣いた」とチェコの人が言ってるよ! 私も観おわって毎日これ思い出しては瞳を濡らしてる。
ちゃんと精巧で強力? 王道の緩さがありすぎない? シリアスみをハンガリーの『君の涙ドナウに流れ』みたいに徹底してくれたほうが伝達力が増すのでは? ──いいえ、そんなふうに侮るべきじゃない。
“世界一有名な反戦フォークソング” が流れてきたラストで、このカラフルな青春映画が(柔らかなポップさをラブコメ的な衣にしつつ)抑圧からの解放と恒久平和をこそ本気でめざす作品だったんだとわかり、観てる最中よりも観た後にじわじわ来た。イラン民衆の苦しみを代弁して全イラン国民が観たといわれる『サイクリスト』に、ちょっと通ずるみたい。
プラハの街は出てこなくて原題は『REBELOVE(反逆者たち)』。☜LOVEの文字が入ってる♡  そう、1968年の “プラハの春” の束の間のみずみずしい自由とそのあっけない終焉を描いていて、最も的確な邦題は『この東欧の片隅に』だと思う!!
けっしてラブコメというジャンルに括られるべきじゃない。
劇中に使われた曲たちのうち、ラスト曲「花はどこへ行った」と「恋のダウンタウン」「花のサンフランシスコ」「大聖堂の影」がエンドロールでリレー式にちょっとずつリピされて、本当に本当に胸に来た。予期せぬ悲しいラストだったんだけど、ドラマ自体は “明るい時を刻む” 鐘の音で終わったし、けっして私たちを絶望させず、未来を見つめさせる。もちろん、東西冷戦とチェコスロバキア国内の人民抑圧がそのずっと後にどうなったかをみんなが知ってるからだけれども。
この世界の片隅の、ある時点での一つの恋や一塊の人間群像が、こうして普遍的に、希望の持ち方を教えてくれる気がしたの。

人は、さまざまな試練を乗り越えて明るく前に進んでいくために一人一人生まれてきたのであって、幸せになるために生まれてくるわけじゃない。でも、それだからこそ、私は自分以外の誰かの(みんなの)幸せのために生きたい。これからは、もっとそうする。
そこまで思わされた!
世界中のあらゆる鐘が、さらに明るい時を刻んでいけますように。。。。。。


◇◇特によかった場面は、、、
★序盤、教室になぜか阿佐ヶ谷姉妹みたいのがいた。
★綺麗な小母さんがジョッキビールをノーカットで一気飲みした。(☜さすがビール消費量世界一のチェコ♪)
★綺麗男子シモンがサーバーからビールを出しっ放しにして唖然を表現。(☜さすがビール消費量世界一のチェコ♪)
★綺麗な綺麗な主役テレザが、リボンつきハーフアップ・シニヨン&水色アイシャドウ&水色ニットでブリジット・バルドーみたいにして庭に出ていって男子から「ブリジット・バルドーも真っ青だね」と言われるところ。(☜字幕係さんたちの手柄でもあるかな)
★靴屋の素敵な店員♂~女子三人の靴ダンス。
★何といっても、至福の銀河トロッコ!!!!!
★小母さんの泣き顔。。

☆メガネ女子ユルチャが一度だけメガネ外す場面は、もっとしっかり「おー、可愛いじゃん♡」と見せてくれればよかったのに、一秒ぐらいだった。これが惜しい。


◇◇しんみりとエンドにたたみかけてきた歌詞たち
(全曲チェコ語)

「野に咲く花はどこへ行ったの? 少女が摘んだ。少女は行ってしまった。どこへ? 青年のところへ。青年はどこへ? 兵隊になって戦場へ。兵隊はどこへ行った? 死んでお墓へ行った。野に咲く花がお墓を覆った。花を少女が摘んだ。いつになったらわかるのだろう? いつまで繰り返すのだろう」(花はどこへ行った)

「悩みがあっても、どうしたら迷子になれるの? ライトが街中を照らしてるのに。だから行こう、ダウンタウンへ。すべてが素晴らしくなる。すべてのものがあなたを待ってる」(恋のダウンタウン)

「髪に花飾りをつけていこう。きっと心優しい人たちに出会えるよ。夏に愛の集会が開かれるよ。この不思議な振動。この世代が新しい意味をもつ」(花のサンフランシスコ)

「私の理想、私の見る夢。笑顔。ショール。甘い塩。乾いた雨。あなたが欲しいもの。あなたは私が好きなものを知っています……」(大聖堂の影)


◇◇もう少し、楽曲メモ

★冒頭のステージの女性曲は、チェコスロバキアのR&Bとロックンロールのパイオニア(で英国テレビ番組において60年代にザ・ローリング・ストーンズと共演したこともある)イヴォンヌ・ブレノシロバの『月』。64年作。本人がおそらくこの映画用に久しぶりに再録音したバージョン。風貌は似てるけど若い女優さんは別人で、口パクと思われる。

★続くステージの飄々とした男性曲は、同じく64年のチェコスロバキアのヒット曲『ジーナ』。俳優・歌手・ブラスバンド(チェコ民俗音楽)歌手であるヨーゼフ・ジマの代表曲の一つ。音源の新旧はわからないが、男優さんは別人と思われる。

★テレザ役の主演女優ズザナ・ノリンヴァーは『恋のダウンタウン』『シュガー・タウンは恋の町』『大聖堂の影』でチェコ語で唄っている。デュエットの男優パートは別人による歌唱。
『恋のダウンタウン』は、64年の英国歌手ペトゥラ・クラークの世界的ヒット曲。
『シュガー・タウンは恋の町』は、66年の米国歌手ナンシー・シナトラのヒット曲。
『大聖堂の影(Stin Katedral)』はチェコの有名な作曲家カレル・スボボダによる既製曲をズザナらに唄わせた映画用バージョン。

★メガネ女子ユルチャの『オリバー・ツイスト』は、ユルチャ役のアンナ・ヴェセラー自身がチェコ語で唄っている。

★遊園地からのブギナがはしゃぐ場面の『マイ・ボーイ・ロリポップ』は64年のジャマイカのミリー・スモールの大ヒット曲。ブギナ役のアルジュビエタ・スタンコヴァー自身がチェコ語で巧みに唄っている。

★『花のサンフランシスコ』は、67年に米国のベトナム戦争反対運動の気運の中、モントレー・ポップ・フェスティバルのためにジョン・フィリップスが作り、スコット・マッケンジーが弾き唄った大ヒット曲。

★ラストの『花はどこへ行った』も、ベトナム戦争への反戦歌として愛唱された。ロシアの文豪ショーロホフの文芸作品の一節から言葉を借りて米国のピート・シーガーが55年に作り、61~64年にキングストン・トリオやピーター・ポール&マリーやブラザーズ・フォーらが次々と大ヒットさせ、ロシア(ソ連)や日本を含む世界中で普遍的反戦歌として各国の言語で愛唱されるようになった。
なお、94年のリレハンメル冬季五輪で旧東ドイツ出身のカタリナ・ビット選手が旧ユーゴ内戦に心を痛めてこの曲で自身最後の五輪のフリーを滑った。


※ 東西冷戦の終結後、当時のソ連ゴルバチョフ書記長は「共産主義が資本主義に負けたのではなく、自由と尊厳と平和を求める全世界の市民が抑圧と憎悪に勝利したのだ」と語ったそうだ。
※ プラハの春(が潰される)までチェコスロバキアには西側の文化芸術がけっこう柔軟に取り入れられていたが、当時のソ連では(80年代初頭頃まで)西側のロックンロール等が流通禁止にされていて、ソ連の若者たちはレントゲン写真の使用済みゴミをレコード盤にした海賊盤を命懸けで買ってジョン・レノン等を聴いていたらしい。


誰が悪、とかじゃなく、とにかく全地に愛と平和を。。。。。。。