えむ

ダンサー・イン・ザ・ダークのえむのレビュー・感想・評価

3.8
稀に見る鬱映画と聞いていたので、実はこれまでなかなか食指が動かず観ておらず、今回初めての鑑賞。

ただ、正直に言うと個人的には受け身体勢取ってたせいか、思ったほど鬱々としたものでもありませんでした。

確かに後味は悪いし、セルマの生い立ち、話の流れはかなり暗くて救いがない。

ただ、反面、ああそうなんだろうな、と色々腑に落ちるような気もして、耐え難い、これ以上目にしていられない、というのとは少し違っていた、というのが正確なところかも。



優しくしてくれる人や周りに対しても、どこかエゴイスティックで、跳ね除けたり我を通したり、聞く耳も持たないように振舞って見えるセルマには、もしかしたら観ている側が苛立つこともあるかもしれない。

なぜ親切を受け入れないのか。
なぜ戦わないのか。
なぜそこで本当のことを言わない。ウソをつく。

でも、それだけ背後に長きに渡って酷い想いを強いられてきたことによって形成された、無意識の猜疑心の現れだってあるだろうし、この国に渡ってきてからの移民に対する時代的な扱いもあるだろう。

そんな中で、他者に簡単に心開けないのは当然だし、これこそがセルマの戦い方であってプライドだったとも言える。


加えて「見えているものや情報」が限りなく少ない世界では、いざと言う時に掴んで頼れるものが自分しかないのかもしれない。
知ることかできなかったのだから。

だから、最期の最期まで自分にしがみついた、ただシンプルにそれだけなんじゃなかろうか。

セルマという人を最も端的に表すのが、中盤で出てくるミュージカルシーンの、「私が見るものはもう他には無い、全部見た。暗闇もその中の一瞬のスパークも。それで十分。それ以上は贅沢。」なんじゃないかと思う。

もちろんそれが全て本心なのではなく、もっと見たいものもあるのだろうけど、彼女のしがみつく支え、杖になるのはこれなのだろう。

ミュージカルとしてどうなの、ということに関しては、単に彼女にとっての支えのモチーフがミュージカルだった、というだけのことじゃないかな。
ミュージカル映画、と思って観たら、そりゃ違うだろうね。



むしろ、後味が悪くて嫌だなと思ったのは、最後の処刑のシーン。

見守りに来た人の目の前にぶら下がるようにわざわざ落とす、って底意地悪くないですか?

被疑者でない無実の人々に、トラウマ生産するだけやん……


あと、息子くんのその後は気になります。
形はどうあれ、セルマは最後まで自分を全うしていったけど、「お母さんが命の引き換えに目をくれた」って、別のトラウマになると思っちゃうんだけどなぁ……


良いなと思ったのは、気にはかけつつ、人としてアカンところにほきちんとひとりの人として扱って物申す、ドヌーブのキャシー、本来のセルマという人の片鱗を見逃さず、1職員としてだけでなく人としての思いやりを見せる女性刑務官。


最期の日々に少しでもこういう人が立ち会ってくれたことに救われる想い。
えむ

えむ