140字プロレス鶴見辰吾ジラ

善き人のためのソナタの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

善き人のためのソナタ(2006年製作の映画)
4.2
”溶け出す心と崩れる壁”

「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」のエイガ一刀両断のコーナーで江頭2:50が絶賛していた映画だったので、いつか見たいと思っていた。仕事帰りのBOOK OFFで発見し、即決購入。DVDジャケットからは物暗い陰鬱な映画のようなイメージだったが、予想以上にエモく、さらに切なく、感情的な映画であった。社会主義者の信念がエモーションに揺らぎ、芸術や音楽の前にその信念が溶け出していく様と、氷塊から善人の行いが、リスクと隣り合わせに浮かび上がり、そしてラストカットと最後のセリフは文句なしの圧巻だった。

主人公のヴィースラーは東ドイツのシュタージの敏腕尋問官であり、冒頭から悲壮感漂う男の尋問映像を教材に熱弁を振るう。このときの尋問の手法やスキルの高さを見せつけると同時に、執念深い社会主義の守護者であることが提示される。そんな折、劇作家のドライマンと彼女のクリスタを監視する任務が与えられ、彼らの住むアパートの屋根裏から部屋を盗聴することになるのだが、ここの奇妙な隣人関係ないしは同居関係となることで、西側の芸術や自由さに心を惑わされることとなり、それが盗聴という非日常性に味付けされ、そのスリルとともに鑑賞する側の心も掴んでいく。激しいセックスのシーンをも盗聴されることとなるが、単純に「ミイラ取りがミイラになる」構図のように、情報統制をし国民の知る権利を制限した、東側陣営の信念が、プライバシーの盗聴によるスリリングな知る興味に融解させられる構図が滑稽であり、また切なく映る。ここで単純に秘密裡な計画のスリルとサスペンス性は盗聴する側のバレるかバレないかに発展していき、二重に張り巡らされたサスペンスの糸を、鑑賞者特権として知ることとなり、クライマックスへ祈りながら付き合うこととなる。自由を欲した者と自由に心を溶かされた者が、己の新たなる正義のために一線を超える結末はスリリングでありながら物悲しい。そしてささやかなこの物語を救済を込めたラストシーンに思わずため息をついてしまった。