このレビューはネタバレを含みます
1996年制作、グレゴリー・ホブリット監督による法廷サスペンススリラー映画の秀作である。
リチャード・ギアのキャリアにおける絶頂期の作品と言っていいだろう。「愛と青春の旅立ち」で注目され、「プリティー・ウーマン」で不動の地位を築く。
熱心なチベット仏教徒で中国をナチスと同じホロコーストを平然と行う国と批判し中国からは目の敵にされているらしい。「いいぞ!頑張れギア!」
2枚目ではあるが、ロバート・レッドフォードのような甘い正統派と違って多少渋みがある。
本作は法廷闘争劇ではあるが、容疑者の多重人格というサイコティックな不気味さを主軸に据えた面白さが際立っている。
マーティン・ベイル(リチャード・ギア)はシカゴで辣腕を振るう名うての弁護士であったが、目立ちたがり屋で、注目を集める事件にはすかさず飛びつき正義不正義以前に詭弁を弄してでも勝訴に導くしたたかさがあった。
そんなある日、街のカトリックの大司教が刃物で切り刻まれ殺されるという事件が起こり、容疑者が逮捕されたというTVニュースを目にしたベイルはすかさず本件に飛びつく。
容疑者アーロン・スタンプラー(エドワード・ノートン)に接見し、自分が無償で弁護する旨を伝える。
会ってみるとスタンプラーは内気でナイーブ、吃音もあってとてもそんな残虐で大それた事件を起こすとは思えない。
アーロンは大司教に田舎から出て来て路頭に迷っているところを救われ、ミサの聖歌隊に入れられ恩義を感じ敬愛もしていたと語る。
アーロンは無実と確信したベイルはアーロンが言う殺害現場にはもう一人いたという証言を元に捜査を始める。
物語の進行の中でベイルと対立するジャネット・ヴェナブル(ローラ・リニー)検事がベイルの検事時代の元部下で恋人であったこと、その上司ジョン・ショーネシーと軋轢があったこと、そのショーネシーが宅地開発に投資していたが、大司教が開発中止を決定して大損を被っていたことなどが浮き彫りとなってくる。
そして大司教がアーロン達聖歌隊の若者を使ってポルノビデオを撮っていたという裏の顔が明るみになる。
物語の進行に於けるプロットが細かく複雑であるが故に一直線に進まず歯痒いところは否めないが、核心はアーロン・スタンプラーの多重人格やそれが表象する局面の意外性や変質の驚きにあると言ってもいい。
もう一人の人格が顕れると時間が飛び記憶がなくなるとアーロンは言う。
最終的に法廷でジャネットがアーロンを尋問する最中に凶暴なもう一人のアーロン=ロイが顕れジャネットを羽交い締めにし首をへし折ろうと構える。
警備員に取り押さえられ事なきを得るが、彼の多重人格が公の場に現出したことにより、裁判長は心神喪失による審理無効の無罪とし精神病院へ送られる措置となる。
その後ベイルはアーロンに接見しに行き、無罪となったことを伝える。そこを去ろうとした時にアーロンがあどけない声でこう言う、
「ジャネット検事の首は大丈
夫だったのかな。よろしく
言っといてよ」
ベイルはハッとして、
「ジャネットの首を絞めてい
た時の事は記憶にないはず
だ」
アーロンの顔付きと声が変わりゆっくりと拍手をしながら言う、
「いやーお見事。さすがだね
ー。俺も時々アーロンかロ
イのどっちを演ればいいの
か分からなくなっちゃった
よ」
ベイルは
「それじゃ初めからロイはい
なかったのか?」
と尋ねると、アーロンは吃音もなくさらりと言う、
「何を言ってんだよ。いなか
ったのはアーロンの方さ」
最後のどんでん返しの衝撃度は強烈でそれはまるで「シャッター・アイランド」のラストと同じレベルの驚愕のエンディングであった。
法廷劇としてもそこそこ楽しめるが、この作品の醍醐味は本作がデビューとなるエドワード・ノートンのサイコティックな演技力によるところ大であり、ローラ・リニーをはじめ芸達者陣が脇を固めて味わい深いものに仕上がっていると思う。