拘泥

ムアラフ 改心の拘泥のレビュー・感想・評価

ムアラフ 改心(2007年製作の映画)
4.2
タレンタイムの一つ前、かなりの作品でした。今回は正に信仰にフォーカス。そして同様にやはり、宗教、ドグマというよりは、人と、他人の行為と、神自体。逆にいつもの、受け皿となるあの幸せな家庭の存在とはまた別の展開です。
うーんこれも語りたいシーンが多いです。なのでその単位では語りません。流石に虚な目でとんでもない事をするシンディは言及しないとダメか。アレは流石にぶっ飛びすぎなような…いや、だからこそすごいんですけども…

監督お決まりのクラシックはバッハ、モーツァルト。バッハとコーランが同時に流れた瞬間は印象的です。
そして何よりドヴォルザークの『新世界より』第二楽章。日本でも施設が閉まる時間によく流れるこの曲、誰しもが"帰路"をイメージするでしょう。我々からすれば帰るという字は帰依という言葉も連想させるかも。正に各々が帰っていく映画です。変えるお家は色々変容したりそれ自体であったり。増えたりね。
Everyone is looking for God in their own way.というインド系の修道士さんの言葉が目立ちました。
監督はそこに人のつながりをいつも言うんですが、パートナーという形態を結局いつも考えます。ええ、分かります。信仰はどちかと言うとそっちですよね。なんせ我々神に言う言葉を見てみても懇願ばかりですから。なさってくださいなさらないでください、ばっかり。同じですわな。
細い目でもラブンでも理解しなくていいから愛してればいいとか、悲しいならお前が先に死ね、とか、あーワイには望外です。
んで恋愛に関しては今回は割とそういうのもやるんだねって感じで、ゲロ甘でなく希望もあり今までで一番良い。頑張れブライアン。あんまうまくいかなそうだけどうまくいったら多分最高で一生モノやそれは。アニはミューズや。

誰かへの怒りで信仰が放棄された、って話があるんですが、自分の友人に宗教二世で、その宗教法人自体の、人を利用するようなあり方によって信仰を嫌悪するようになってしまった人がいてその人はタレンタイムを観て、良さは分かるんだけど信仰のあり方がしんどかったと。
監督は概念としての信仰、神はいつも表す代わりに、社会としての宗教はあまり考えないですよね。もちろん意図というか、どうあれ救いはこうであろう、個人としてできることはこうであろう。という考えというか、メタフィジカルな信仰というか、いわばお門違いなのでしょうが、かなり考えさせられます。
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