140字プロレス鶴見辰吾ジラ

2010年の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

2010年(1984年製作の映画)
4.3
”魂の戦士”

「2001年 宇宙の旅」
SF映画の金字塔にして
映画体験としての最高峰。

続編に臨んだのは
「カプリコン・1」にて
米国の人類初の火星有人探査捏造を描いた
ピーター・ハイアムズ。
※物心ついたときに最初に見た彼の映画は
ヴァン・ダム主演の「サドン・デス」だった。

キューブリック自身が描かなかった
「2001年」のその後
ハイアムズが描いたのは
あくまで「2001年」の同人誌

そう、リドリー・スコットの世界を継いでその後を描いたドゥニ・ビルヌーブのように。「ブレードランナー 2049」が続編でなく「ブレードランナー」の同人誌的な継承作であるとするならば「2010」も「2001」の同人誌的継承作であろう。前作の優雅で高貴なイメージをSFに持ち込んさキューブリックの「2001」の難解さ、哲学的レべリングを排除し、あくまでリスペクトをもって解説書としての機能から冒頭シーンが回りはじめ、そして米ソ冷戦がキューブリック時代から時を経て、さらに終わりの輪郭が霞んで、平和へのエモーションが際立った時代へと流れたことも作品の体温となっている。娯楽性の強くなった「2010」の世界観は、かつてキューブリックが冷戦の終局への希望を宇宙に託したことを隠した「2001」という映画という名のモノリスに、近づこうとよりエモーショナルにスリリングにエンターテイメントとしての映画として答案を出そうとしているのが温かく映る。何よりHAL9000の恐怖のイメージへの贖罪を彼の弁護に回り、優しく生真面目なAIであることを強調し、AIながら自己犠牲という上位感情さえ手に入れられた彼の美しさと優しさに、今作の体温をより強く与えたことに感涙した。そこへたどり着くまでの映像的なスリル性(ここではキューブリックレベルではないが)は、「カプリコン・1」にて記者の車のブレーキが破壊され悪夢のように暴走するシーンと同じように、大気ブレーキによって火の玉と化すレオノフ号や木星の軌道上にて巨大な力の前にオモチャのようにまわり続けるディスカバリー号の虚無に堕ちたような構図の恐怖感が、終わりの見えない悪夢性の演出から目が釘付けになった。さらに木星の月であるエウロパの生命存在説のようなオカルティックな興味の引き方や、人類の肉体を捨てることによって神に近づくという宗教的な思想概念まで、「2001年」の思惑をエモーショナルに引き継いでいたことへの称賛しないわけにはいかないし、描こうとした冷戦の不毛さに向けた平和へのメッセージが入っている意味合いも大きく感じた。

今作は「ブレードランナー」から「ブレードランナー 2049」のような注目度が高くない立ち位置であり、評価も前作の偉大さに霞んでしまっているのは否めないが、宇宙の果てに馳せた偉大な想いを探索船という名のこの映画のエモーションが追いかける構図と、ともに平和を祈り映画としてその思いをメッセージのように発信した意義は感じ取るべきだと思う。

小説上の「2061」は、是非にドゥニ・ビルヌーブに追いかけて欲しい気持ちが生まれた。