ケーティー

福耳のケーティーのレビュー・感想・評価

福耳(2003年製作の映画)
4.1
言葉遊びや詩、それぞれの風情など脚本に味わい


公開が2003年なので、制作されたのはそれよりも前になる。まだ、個人情報保護法が制定される前だし、プライバシーの問題が声高になる前だからか、本作はどの登場人物もずけずけと相手のところに入っていく。しかし、それが今でいうハラスメントにはならず、おおらかな感じなのは、今の社会が失いつつあるものなのかもしれない……。

冒頭の主人公の登場がベタだけど、うまい。老人ホームでレクリエーションする集まりの中、誰も知らない新参者の主人公が、99歳のおばあちゃんのビンゴカードを覗き込んで、この人ビンゴですと声を上げる。そして、老人たちがあんた誰?と一斉に見る。主人公の世話焼きで人のよい一面と、どこか29歳なのにフリーターを続けてきた世渡り下手が垣間見えるいいシーンだ。オープニングで、主人公が新参者ながら、ずけずけと入ってくるのは定番のやり方だが、普通ならぶっきらぼう、自分勝手、目立ちたがり屋、切れ者などを描く手法で、むしろ逆の個性を出しているのが面白い。99歳のおばあちゃんのビンゴを助けるというのがうまく活きている。

実はこのシーンは、月刊シナリオに載っている本作の脚本にはない改変で、これはいい改変なのではないかと個人的には思った。しかし、監督はあまり映画の実績がなく、正直なところ、他の脚本にない改変はいまいちなものが多い。脚本のセリフは、田中邦衛さんだからこなせる部分はあるにせよ、面白いのに、演出の改悪で、結果として映画を一貫性のないものにしているのは残念だった。

※以下、重要なネタバレを含みます。










映画の終盤で、主人公に取り憑く死んだ老人の故郷へ行くシーンで、死んだ息子が主人公に似てるとわかるシーンがある。たしかに、これは主人公になぜ色々なアドバイスをしたかわかるし、悪くはないのだが、本作の根本である老人同士の愛の物語という主題とずれてしまっている。作品の一貫性が崩れているのだ。実は、元の脚本を読むと、ここは異なっている。本当は死んだ奥さんが田中邦衛さん扮する老人が老人ホームで愛した千鳥さんに似ていたことがわかるのだ。奥さんに似ていたから、千鳥さんを愛した、大切にしたかった、死んでも守りたいと思った。これで作品の筋は通るのだが、おそらく監督は、奥さんに似てるから愛するの?とそこにひっかかったのかもしれない。でも、もし、死んだ息子が主人公と似ていたという設定にするなら、前も変えるべきで、前が変わってないのに結末を変えてしまったから、ちぐはぐになってしまっているのである。また他にも、脚本にはない、ラブホテルに誘導するギャグも蛇足だし、演出の拙さがとことん惜しまれる。

しかし、それでもなお、本作は所々で出てくる言葉遊びや詩、羅臼の風情などが味わい深く、いい作品になっている。

ただし、特にセリフの言葉遊びのシーンは、田中邦衛さんだからそのセリフをこなせるのであり、俳優によっては空回りしていたリスクもある。そういう意味では、老人ホームの住人たちは磐石の俳優陣を揃えており、それが映画の魅力ともなっている。