CureTochan

ナイル殺人事件のCureTochanのレビュー・感想・評価

ナイル殺人事件(1978年製作の映画)
3.9
エジプトの景色とか、船の作り、あと本物の料理なんかは楽しくてエジプトに行きたくなったし、主演俳優は何ヵ国語も喋れるみたいで、佇まいは本当にポワロのようだった。それにしてもこういう古い映画の日本語字幕こそ、ちゃんと直してもらいたい。古いのに観る人がいるってことは重要作なのだから。本作は中学生ぐらいのころ、テレビで観たが、原作を再読したので一人で再鑑賞したくなった。うちのキッズには、クリスティを読ませたいので、このような「ファースト小説」を見せることができない。

結果、やっぱり原作を知っていて観るのが一番だと思った。そういう映画だと思えば悪くない。ただ、本当に原作を読んだ人のため「だけ」に作ってもらえればもっと良かっただろう。読んでない人のために行った改変が、いろいろと台無しにしているから。またそれと同時に気づいたのが、小説の映画化が「ファースト小説」になってしまうのは、わりと仕方ないということでもあった。ジョン・ディクスン・カーの名作ミステリ「皇帝のかぎ煙草入れ」は映像化が困難だろう、などとよく言われる。映画にせよ小説にせよ、そのメディアの特性を最大限に活用できたものが、しばしば名作となる。おもしろいミステリ小説を映画にするのは、モーツアルトがフルートとハープのために書いたフレーズをオルガンで弾くようなものだと考えれば、その困難がよくわかる。最初からオルガンのために作られたもの、たとえば「刑事コロンボ」のほうがいい。小説だと、誰が何を発言したか、はよく憶えているが、それを誰が聞いていたかは一度しか書かれないから忘れやすい。そういう映像との違いがある。

映画にするためキャラを半分に減らし、会話を減らし、簡略化したことにより、たとえば犯人がバレバレだったり、ポワロが盗み聞きばかり得意なおバカだったりする。やたら客を犯人扱いするが、あんな次の殺人を招くようなことをポワロはしない。さらに最悪なのが、被害者のキャラ変更で、ただの嫌な女になっている。字幕では省かれているが、最初に彼女を迎える大邸宅の執事を「馬鹿」呼ばわりしてて、ありえない。クリスティのキャラクター造形には奥行きがあり、たとえば初めの印象とは違っていい人だった、といったことが起こるのに、映画ではまったくない。また、気の毒に「不細工な女である」と明記されている魅力的なメインキャラまで、削除されている。これは見かけ問題ではないのか。

終盤に「誘拐されたドイル夫人」という字幕があるんだけど、ドイル夫人は殺されているのであって、「誘拐された」は夫人のネックレスにかかっている。盗まれた、を別の言い方でいう言葉遊びをしてるからだが、これだけじゃなくエルキュール・ポワロのセリフは全編にわたってややこしい。英語とフランス語のチャンポンだし、医師との会話ではドイツ語も飛び出すが、吹き替えだと全くわからない。ときに相手が、ポワロに合わせてフランス語で話したりして、それで二人が笑ってるんだけど、日本語では笑いの理由がわからない。今は画面の解像度も高いし、一時停止もできるんだから「(フランス語で)」とか追記すればいいのに。

終盤でポワロの友人が、ポワロのワインにカビが生えていたので捨てたと言い、そのあとの会話がヒントになる。そこをポワロが説明するシーンで、カビと睡眠薬の間に特に関係はないのだが、字幕は薬のせいでカビが生えたみたいな内容だ。ポワロにとってのポイントは「捨てた」という部分であって、誰でもワインボトルにアクセスできたので、他人つまり大佐や犯人が捨てたり取り替えることが可能だった、と言いたかっただけ。要するに字幕を翻訳した人が、ちゃんと理解してないのだから手に負えない。

ところで、スティーブン・スピルバーグのようにディスレキシアの人って英語圏には結構いるんだけど、失読症ってことはクリスティも読んだことがないのだろうか。昔は、欧米で飛行機に乗ればクリスティのペーパーバックを開いてる乗客が最低一人はいたぐらいだと思う。話を作る能力に影響しそうなものだが、彼が脚本にクレジットされないのはそのあたりが理由なのかしら。日本語は音と意味の両方の文字があるから、ディスレキシアのような子供は出にくいらしい。それでも頭が良さそうなのに学力が低い、芸能人なんかには結構隠れていそうである。

https://tokyo-brain.clinic/psychiatric-illness/ld/1353
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