えむ

バグダッド・カフェのえむのレビュー・感想・評価

バグダッド・カフェ(1987年製作の映画)
4.0
観たのはアマプラのニューディレクターズカットの方だけれど、作品レビューとしてはこちらの方が読みやすいかと思うので、レビューはこちらに。


この作品はずっと若い頃にオリジナルをミニシアターで一度見たきりだけど、なぜか不思議に印象に残ってすごく好きだなぁと思ったのを覚えている。

あの独特なむせび泣くようなBGM、そして砂漠のど真ん中に佇む貯水槽のようなカフェの看板。

その「具体的な内容より、もっと象徴的な部分」だけが深く心に刻み込まれていて、このビジュアルを見るだけで音楽が流れるし、その反対も然り。
考えてみたら1度しか観ていないはずなのに、この印象は強烈だ。



ストーリーとしては、シンプルだ。

旅の途中、旦那と喧嘩をし、砂漠のど真ん中で彼と決裂をしてきたドイツ人の女性か、その砂漠にあるいつも怒っている女主人のカフェにたどり着く。

いつの間にかそこに居着きながら、変わらない毎日の中でそれぞれが憂鬱と鬱屈を溜め込んでいる住民たちの中に浸透して、心を和らげていく、ただそれだけの話。

大きな事件があるわけでも、派手な展開があるわけでもない。
なのに染み渡るように不思議と心に響く物語なのだ。

もちろんストーリー展開、頭を使うような意義のようなもの、そういうものを映画に求めてしまった場合には、何でもないただ日常風景を切り取っただけの退屈な作品に見えて、つまらないと思う人もいるだろう。

だけれどもこの作品や、ここに出てくるジャスミンというドイツ人女性、綺麗でもなく体も太っているのにどこかチャーミングさが残る彼女は、人を引き付ける。

彼女は水のような存在なのかも。

カラカラに乾ききった砂漠に染み込んでいく一滴の水。
そしてその砂漠に、いつの間にかオアシスができていく。

彼女の働は、大きく火をつけるものではなく、触媒のようなもの、水が染み渡るようなものだと私は感じる。

私たちの心の中にもいつも乾いたものがあって、時に怒りを溜め込んだり、時に涙を溜め込んだり、そういった普遍的な部分に染みいるような作品だからこそ、愛されるのではないかと。


宇宙からの光のような絵、一枚ずつ描かれる度に剥がされていく衣、何度も何度も繰り返し投げられては戻ってくるブーメラン、象徴的なシーンは散りばめられてはいるけれど、あまりそこに囚われても仕方ないというか、結局はジャスミンが来ることによって、ジャスミン自身もフレンダも、全ての登場人物が少しずつその渇ききったところに何かを取り戻していく、そんな雰囲気を感じて、それが癒しに繋がるような作品なんじゃないだろうか。

今回久しぶりにディレクターズカット版を見てみて、こんなシーンあったっけと思ったけれど(多分公開時から足したとこだね)、そのシーンがある無しに関わらず、この作品が放つ独特の雰囲気や佇まいのようなもの、それだけで十分に味がある。

冒頭の部分こそ、いつもイラついて怒っている人々の姿に少し痛い思いはするかもしれないが、疲れ切ったときに少し時間を取ってゆっくり見てみると、どことなく気持ちが落ち着いて温かみが戻ってくるような、何かが取り戻される気がする映画だと私は思う。
えむ

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