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ゾディアックのkuuのレビュー・感想・評価

ゾディアック(2006年製作の映画)
4.0
『ゾディアック』
原題Zodiac.
製作年2007年。上映時間157分。

デビッド・フィンチャー監督が、実際に起こった未解決事件を題材に放つサスペンス・ドラマ。
米国犯罪史上最もイカれた連続殺人鬼と“ゾディアック・キラー”を題材にしてる。
ゾディアックに関わり、人生を狂わされた4人の男たちの姿を描く長編。
徹底したリサーチを基に練り上げられたサスペンスとしても、4人の男たちの生き様をリアルにつづった人間ドラマとしても上下巻感覚で休憩挟みつつ、または、連続ドラマ一気見感覚で観て楽しめるかな。
こない長くても描ききれんことマダマダありそうな感じ。

1969年、自らを“ゾディアック”と名乗る男による殺人が頻発し、ゾディアックは事件の詳細を書いた手紙を新聞社に送りつけてくる。
手紙を受け取ったサンフランシスコ・クロニクル紙の記者ポール(ロバート・ダウニーJr)、同僚の風刺漫画家ロバート(ジェイク・ギレンホール)は事件に並々ならぬ関心を寄せるが。。。

『ゾディアック』は、1970年代初頭にサンフランシスコで米国全土を震撼させた実際に起こった連続殺人事件で犯人に付けられた名称です。
小生はゾディアックに興味をもち、その関連の本何冊か読み漁った時期がある。
謎が多いが、人がこの事件をより複雑にしていったと云えるし、故にか、この作品を観ることを避けてたかな。
しかし、ゾディアックを多少知ってます小生には分かりやすくて、今は観て良かったとさえ思えてます。
余談ですが、
『Zodiacゾディアック』てのは英語で黄道帯を意味する語だそうです。
この事件の犯人が声明文の中で
『私はゾディアックだ(This is the Zodiac speaking.)』ちゅう一節を頻繁に用いたことでその名称として知られるようになったそうです。
因みに黄道帯とはWikipediaによると、
黄道帯(こうどうたい、英: Zodiac)とは、黄道の上下に9度の幅をとって空にできる帯のこと。
獣を象った星座を多く通ることから獣帯とも呼ばれる。
現在、黄道帯には13の星座があり、このうちへびつかい座を除いた12の星座を黄道十二星座という。
とあります。
ヤツは他のリアルなシリアルキラーとは違い、世間の注目を浴びることを好み、それを宗教的に求めてるかな。
映画が好きなんやろなと随所でわかる。
ヤツは新聞社やポリス(警察)に手紙や暗号文を送っとる大胆不敵。
最近、ゾディアックの暗号の一つ『340 cipher』が解読されたとネットで見ました。
何故解けたとかは割愛しますが、
暗号文の解読和訳を抜粋そます。

『私を捕まえようと楽しんでくれていることを願う。
テレビ番組に出て、私について話しているのは私ではない。
私をすぐに天国へ送ってくれるので、私はガス室など恐れていない。
私には、私のための十分な奴隷がいる。他の人たちには天国に行っても(奴隷は)いないので、彼らは死を恐れている。
死んで天国に行けば新しい安らかな生活を送れることを知っているので、私は恐れていない』

興味をもたれたかたは検索すれば詳しく載ってますので検索ヨロシク。

扨、本作品の事件の犯人の思考は、大胆不敵で思い浮かぶグリコ森永事件のヤツともちゃう。
ゾディアックのある殺人じゃ、ゾディアックのシンボルを前面にあしらった複雑なフードとマントの衣装を着とる。
また、別の殺人は、単にマスゴミ塵芥やポリスを刺激すっためにやっとる。恐ぇことに、ヤツはこないなイカれた事をしとるのに捕まっていない。
こないな理由から、映画『ゾディアック』は、ポリス手続きと、実りのない捜査が、捜査参加者に与えよった心理的影響の研究を組み合わせたものになっているかな。
今作品じゃ、犯人に取り憑かれた様に捜査にのめり込む、政治漫画家のロバート・グレイスミスと、事件を担当したポリスのデビッド・トスキちゅう二人の人物をフューチャーしてる。
強迫性観念がもたらす心理的ダメージを理解するためや、その犠牲者を知るためには必要かな。
あくまでも興味を持つものへ。
長い上映時間にもかかわらず、小生はグレイスミスやトスキの尋常ない心情に近づくことができないくらい、彼らもイカれとるように映ったかな。
グレイスミス役のジェイク・ギレンホールは今作品では分かりにくい存在や。
彼はただの愛想ええ青年にしか見えへんし、その内面は推測の域を出ない。
トスキ役のマーク・ラファロは、同世代の俳優よりも演技力があるけど、彼の役はテレビの標準的なポリスものとして描かれてる。
トスキは25年の経験を持つ本物のポリスちゅうよりは、おもろいコロンボのクローンみたいかな。
また、この2人を理解する上でのもう1つの障壁は、単に彼らと過ごす時間が、157分でも少ないこと。
今作品じゃ、主役を凌駕するような副次的なキャラが多数登場してるし、沢山の役柄があるはず。
ロバート・ダウニーは、ゾディアック事件を担当する記者ロジャー・エイブリーを、70年代のドラッグ・カルチャーに影響された、頭がキレて、ヒップスターって感じで演じている。ブライアン・コックスは、派手な刑事弁護士で俳優としても活躍するメルビン・ベリを、手の届く範囲の風景を使って演じてた。
容疑者役のジョン・キャロル・リンチは、普通の人のようでいて、人を不安にさせるほどマジ不気味。
チャールズ・フライシャーは、リンチを上回る不気味やし、見た目以上の存在感を放つ情報源を演じてた。
これらのキャラは、事件の進行に合わせて次々と登場して、ギレンホールとラファロの感心を集める。
徐々に明らかになってくるんは、
今作品の主旨は、彼らのキャラには感心がないってことや。
物語はむしろ、ゾディアックキラーを炙り出し、人物を特定することに集中している。
ポリス映画としても優れている。
事件の事実とかは明確に、ほとんど愛情を込めて描かれているってすら感じた。
より正確に云やぁ、
今作品『ゾディアック』は非常に完全な境界線の観てる側に錯覚を与える。なぜなら、この物語は、有名な未解決事件の犯人を、観てる側に提示しざるを得ないからやと思う。
この容疑者はグレイスミスをはじめとする事件関係者の多くが本当に犯人だと信じている人物であり、ゾディアックは提示された証拠が、状況証拠であることを慎重に指摘している。
せや、映画が口先で云っとることと、劇的に暗示していることの間には、大きな溝がある。
殺人者を見つけることに精神的な健康を依存していた野郎ロバート・グレイスミスの本を基にしていることを忘れてはあかんのちゃうかな。
数百万ドル規模の映画にや、結末が必要やし。
ポリス小説には、その先に進むための結論を必要とする。
そうやなければ、観てる側に不満を抱かせ、胸くそ作品にしまいます。
不満を抱く視聴者は、利益を生まない小さな観客やしなぁ。
今作品を見るときは、そのことを念頭に置いてほしいかな。
この映画は確かに有益であるけど、同時に、

その結論を信用してはいけない。

本物のゾディアックは捕まらなかった。
誰も起訴されなかった。
それ以外のことは、せいぜい情報に基づいた憶測に過ぎひん。
そう思いつつ、映画『ゾディアック』を観れば上質で示唆に富むエンターテイメントになると思います。
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