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父親たちの星条旗のYYamadaのレビュー・感想・評価

父親たちの星条旗(2006年製作の映画)
3.4
【戦争映画のススメ】
【コラボ鑑賞のススメ】
❶父親たちの星条旗 (2006)
❷硫黄島からの手紙 (2006)

◆本作で描かれる戦地
1945年 太平洋戦争最大の激戦
「硫黄島の戦い」/ 日本 (実話)
◆本作のポジショニング
 人間ドラマ □■□□□ アクション

〈本作の粗筋〉 allcinemaより抜粋
・太平洋戦争末期、硫黄島に上陸したアメリカ軍は日本軍の予想以上の抵抗に苦しめられ、戦闘は長引き、いたずらに死傷者を増やす事態に陥っていた。そんな中、擂鉢山の頂上に星条旗が高らかに翻る。この瞬間を捉えた1枚の写真が銃後のアメリカ国民を熱狂させた。
・星条旗を掲げる6名の兵士は一躍アメリカの英雄となるが、その後祖国に帰還したのはドク、アイラ、レイニーの3人だけだった。国民的英雄として熱狂的に迎えられた彼らは、戦費を調達するための戦時国債キャンペーンに駆り出され、アメリカ各地を回るのだが…。

〈見処〉
①兵士たちは国のために戦ったが、
 若者たちは友のために死んだのだ——
・『父親たちの星条旗』(原題: Flags of Our Fathers)は、2006年に製作された戦争映画。製作は、クリント・イーストウッドと
スティーヴン・スピルバーグ。
・本作は『ミリオンダラー・ベイビー』の巨匠クリント・イーストウッド監督が、太平洋戦争最大の戦闘とされる硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」2部作の第1弾。アメリカ側の視点による作品。
・2006年10月の第19回東京国際映画祭でオープニング作品として上映されたのち、10月28日に全国公開。同年12月に日本側の視点で描いた『硫黄島からの手紙』が日本とアメリカで連続公開された。
・硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げる有名な戦争写真に登場する6名のうちの1人、ジョン・ブラッドリーの息子によるノンフィクション『硫黄島の星条旗』を基に、凄惨な硫黄島での戦いと、戦場を生き延び帰還した3名の若者が、自らの思いとは無関係に「勝利の象徴」として英雄に祭り上げられ、戸惑いや苦悩を深めていくその後の人生が描かれている。
・本作の舞台は、東京都小笠原諸島の硫黄島であるが、アイスランドのレイキャネスに黒い砂浜を再現し、戦闘シーンが撮影された。

②硫黄島の星条旗
・硫黄島の星条旗は、1945年2月23日に5人のアメリカ海兵隊員と1人のアメリカ海軍兵が第二次世界大戦下「硫黄島の戦い」の摺鉢山制圧後、2度目に行われた星条旗掲揚の様子を写したものである。
・写真撮影後、グアム経由で現像されたフィルムがニューヨークのAP通信本社へ電送され、撮影から印刷までわずか18時間半という当時としては驚異的なスピードで新聞に掲載された。
・これらにより、太平洋戦争のイメージとしてよく知られ、史上もっとも有名な報道写真の一つ。1945年度のピューリッツァー賞の写真部門を受賞。後に、この写真をもとにアーリントン国立墓地近くに海兵隊戦争記念碑が造られた。
・戦時国債の売れ行きに頭を痛めていたフランクリン・ルーズベルト大統領は、この写真を見て、国債のキャンペーンに写真に写っている6人のうち、生き残った3人を登用。全米を戦時国債徴収のキャンペーンでまわらせると、彼らは英雄として各地で大歓迎を受け、目標額の2倍にあたる233億ドルの国債も売ることができた。
・なお、本作公開後の2016年、2019年には、生き残った3人のうち2人は、この写真に収まった人物でないことが明らかになっている。

③結び…本作の見処は?
○: 硫黄島の山頂に星条旗を立てたことから英雄視され、戦時国債購入キャンペーンに駆り出される兵士たち。第2次世界大戦の戦勝国アメリカが財政破綻寸前であったことを知らしめてくれる、稀有な作品。
○: アクションは多くはないながら、硫黄島上陸の海岸戦線のシーンは、本作プロデューサーを務めるスティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』を彷彿とさせる。
▲:本作で描かれる兵士たちの苦悩は、姉妹作品『硫黄島からの手紙』と随分と温度差が異なるのは「大国アメリカの余裕」なのだろうか?
▲: 本作公開後に、3人のうち2人(うち1人は原作者の父)は「硫黄島の星条旗」の写真の当事者でないことも判明。そもそも映画化に資するテーマであったのだろうか?
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