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初国知所之天皇の一のレビュー・感想・評価

初国知所之天皇(1973年製作の映画)
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元々16mmと8mmを組み合わせた上映時間6時間とも8時間とも言われるいわば私家版があり、8mmをブローアップした4時間程の16mm版があり、それを2面マルチで上映する2時間版があり、そして今回のバージョンは4時間の16mm版を改めて2面マルチとして再編集したバージョンに和歌をインサートしたものだと理解するが、監督の著書『見たい映画のことだけを』の序文などを読むと、この『初国知所之天皇(はつくにしらすめらみこと)』の本来的な(正しい)上映形態とは…と考え込まざるをえないのだが、70年代にタイムスリップして監督が自在に操作する8mm映写機の回転音や早川義夫ゆずりという監督自身によるアシッドフォーク生演奏を聴きながら観ることなど当然できないわけで、今回の2022年デジタルリマスター版を目一杯味わったわけなのだが、原將人(正孝)といえば、高校生のときに撮った短編『おかしさに彩られた悲しみのバラード』(今年中に絶対上映希望)で天才映画青年としてその名を轟かせた後、19歳で大島渚の傑出した風景論映画『東京戦争戦後秘話』にシナリオライターとして参加し、雑誌上で松田政男とそれぞれの風景論を戦わせ、更には大島渚その人を批判した気鋭の論客であったのだが、その彼が本作で試みたのはまさに『~戦後秘話』及び足立正生『略称・連続射殺魔』から連なる風景映画と『イージー・ライダー』的アシッド道中映画(仏壇に供えられた半欠片のLSD!)とジョナス・メカス的日記(ナレーション)映画の実践であり、「映画なんか人生じゃない」(『~バラード』の台詞である)と言いつつも、彼曰く“《何を撮るか》から《何なら撮れるか》というヌーヴェルヴァーグにおける転換”をヒントに、私のような映画/映画のような私/私を触媒にすることで私から独立してゆく映画を、鈴木志郎康や金井勝といった個人的映画作家と共振しながら模索したのである。
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