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切腹のkuuのレビュー・感想・評価

切腹(1962年製作の映画)
4.0
『切腹』
製作年 1962年。上映時間 133分。

社会派の名匠・小林正樹が初めて本格時代劇に挑んだ作品。
滝口康彦の小説『異聞浪人記』を原作に、脚本家・橋本忍が脚色を手がけ、武家社会や武士道の残酷さを描いた。
今作品のリメイク版としては2011年に『一命』って作品があります。
今、窮地の市川海老蔵や瑛太が熱演してましたし、機会があればどうぞ。
今作品は、半四郎を仲代達矢、勘解由を三國連太郎が演じた。

日本刀てのを小生は愛してやまない。
かつての日本においては有力な武器のひとつであり、特に江戸時代には刀を持つことが武士の象徴でもあった。
その武士の象徴たる日本刀で自死する行為
恐ろしや『切腹』
武士にとって名誉ある死とされてた。
罪のある者は斬られたこと、そして自ら腹を斬る行為は勇気が必要だったことから、切腹は例え命じられた場合でも本人の勇気を讃えて名誉あるものと考えられたようです。
我は潔白なり、どうかこの内臓をみて下され~的な。
切腹させてもらえなかった新撰組の近藤勇は断腸の思いで死んでいったんやろな。
(近藤勇は斬首刑)
日本で最初に切腹したのが誰なんかは諸説ある。
定説になってんのは、988年(永延2年)に亡くなった
『藤原保輔』やそうで、彼は袴垂とも呼ばれた泥棒で、武士やありません。
13世紀初め頃に撰された『続古事談』によると、藤原保輔は強盗を働いたことが密告によって明らかにされ、逃げ切れなくなってついに刀を抜いて腹を切り、それでもすぐには亡くならず、翌日に絶命という最期を迎えた。
人の生命力の強さに驚くわ。
余談の余談ながら、坂本龍馬も近江屋(意外にも知られてない龍馬暗殺の場所。寺田屋と勘違いしてることが多い)で斬られた時も瀕死ながら半日生きてたそうです。
話は戻りって、映画から離れてますが😅
現代の時代劇で見る武士の切腹には介錯人が付いて、腹を切ったあとすぐに首を斬り落として絶命する。
このときは介錯人がいなかったようです。
介錯人で有名なんは同田貫の使い手拝一刀シトシトビッチャンシトビッチャン。
自死の方法として切腹が登場してから、時代を経て意味合いも変化していったと考えられています。室町時代には敵方に追われてやむなく切腹を選ぶといったことも多かったとか。
戦国時代になると、敵方でありながら切腹を許す行為が美談として残されることもあったようです。一般的な切腹の方法は、
【十文字腹】
戦国時代はこちらがポピュラーだったようです。
腹を左から右へ切ってから短刀を抜き、 みぞおちへ再度突き立てて臍の下まで切り下げ、 内臓を掴みだし、それでも息があれば喉を突いて絶命したそうです。
体力的に無理がありますし、苦痛も大きかったやろなぁ。

【扇子腹】
江戸中期になると、短刀の代わりに扇を三方に置き、 それに手をかける瞬間に介錯人が首を切り落としました。
切腹人の苦痛軽減のためであったほか、複雑な切 腹の作法を知らない武士が当時は増えたためだったそうです。
また、主君の後を追う切腹を『追腹』、 責任や義理を通すための切腹を『詰腹』、本意でない無念の切腹を『無念腹』と呼びました。
江戸時代になると士農工商と身分が定められ、日本刀の所持が許された武士の死罪については切腹がスタンダードになっていきます。切腹は自ら選んだ名誉ある死やっが、次第に切腹によって武士としての面目を保つ、名誉を挽回するという意味合いも強くなっていく。
また、主のあとを追って切腹する『殉死』が増えたのも江戸時代だったようです。
通常『追腹』と表現されています。
毒蝮三太夫はドクマムシと読みます(全く関係性ありませんので🙇‍♂️)
江戸時代初期に殉死が増えた理由について、一説には死んだ主との関係がただの主従関係にあらず、男色関係にあったため後追いしたのではと考えられているようです。
江戸時代になり切腹する者が増えたことで、罪人の処刑についても斬首ではなく、切腹を命じるようになっていきました。
んで、やっと本題に入ります。
今作品の切腹は見てるだけなのに痛いたしい。
若い浪人(石浜朗)が手にしたのは、竹を削ってかたちだけ調えた竹光。
それで見事腹を切れと強制される。
当時、江戸では『押しかけ切腹』て強請りが流行っていた。
玄関先を借りて切腹したいんやけど。。。と申し出た浪人に、何がしかの金子を包んでひきとってもらうアホな銭もうけ。
井伊家を訪れた若い浪人も、その一人で、妻は病気で、こどもも高熱。
恥も外聞も捨てて金の無心にやってきた。
しかし、井伊家では作法どおり切腹の舞台をしつらえ、無理や腹を切らせた。
半年後、津雲半四郎と名乗る老齢の浪人 (仲代達矢)が、同じように切腹させろとやってくる。
通された庭先で、迎える家老 斎藤勘解由(三國連太郎)に問答を仕掛こうして小林正樹流の端正な画面の中、ミステリー映画のような問答と津雲の回想がくりかえされ、そのうちこの浪人が、半年前の若い浪人の義父だとわかってくる。
ただの『押しかけ切腹』ちゃう。
そう気づいた斎藤に、津雲は落ち着いて、介錯人として家中で武芸に聞こえた藩士を名指しする。
まず深彦九郎、しかし急病とかで出仕していない。
次に出た名が矢崎隼人、彼も出仕していない。
三人目も。。。ここに至ってやっと斎藤は気づく。
この三人こそ、あの若い浪人を無理やり切腹させた張本人たちや、と。
舞台は一転『動』に。
藩士に取り囲まれた津雲が取り出したのが、武士の命とされた髷三つ。
そして、にこりと『命はとっていない』と云ったあと、斎藤に向かって、

所詮、武士の面目などと申すものは、たんにその上部だけを飾るもの。

金の無心はたしかに武士の面目をけがすもの。
せや、婿は生きるために武士の魂の刀も見栄も、すべて捨てて玄関先に座った。
そんな人間を、寄ってたかって竹光で腹を切らせる、それが武士の面目なら、なくてけっこうや、と。
まるで、そう全身で叫ぶ義父を演じた仲代は、このとき25歳信じられへん脱帽っすわ。
仲代は何かのインタビューで
『20代で孫のある役をやったので、60歳まで安泰だと、思ったものです』と語ってた。
なんちゅう貫禄、獅子のよう目ヂカラ、迫力といい、息をのむすごさでした。
個人的には『一命』の海老蔵も捨てがたいですが、仲代の名演技の方が、一枚上手かなと感じた良作でした
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