河

ファントムの河のレビュー・感想・評価

ファントム(1922年製作の映画)
4.6
貧乏な家庭で詩人に憧れながら役所に勤める主人公がいて、馬車に撥ねられ頭を打ち、その馬車に乗っていた上流階級の女の人に一目惚れし、さらに詩人としての才能を認められる。それによって、裕福で詩人でその女の人を手に入れている自分という幻想に取り憑かれる。ただ、実際は詩人として認められたのはぬか喜びで、金は全て詩の出版を見越した借金で、女の人はその馬車の女の人にそっくりな別人。幻想の自分として生きることで現実との歪みが大きくなり、段々とその幻想の眩しさに押しつぶされるようになる。
妹も同じく上流階級の生活を夢見て家を出るけど、実際は男の金で生きることになる。その現実の重みが家に残された母だけにのしかかってくるようになる。主人公に金を貸した人は主人公の叔母、母の姉妹で、母と対称的に詐欺のような商売で成り上がり金持ちになっている。最終的には母と叔母両方によって犯罪を犯すしかなくなり、破滅する。
セリフとして人が変わったと何度も言及されるように、頭を打って以降主人公は幻想と現実の区別がつかなくなっている。主人公の回顧として話が進むため、この映画自体も虚実が入り混じったものになっている。そして最後、刑務所にいる主人公の幻想か現実か区別のつかない眩しすぎるハッピーエンドで終わる。

追い詰められた後、幻想の馬車に撥ねられる、家がねじ曲がってその影が追っかけてくるなど、それまでは幻想は幻想として区別されていたのに対してとうとう現実と混ざって見えるショットや、幻想の自分として生きている自分が完全に地から足が離れたように感じられるシークエンスがあって、そこが非常に良い。幻想の自分を生きる主人公達と対比的に差し込まれるどこにも行くことのできない母のショットは逆にただただ現実的で重い。
重く暗い画面、厳しい展開が続いた後、その究極のように刑務所の無機質で重いショットがあって、そこからラストのシークエンスで一気に眩しく自然的な画面、幸福すぎる展開に飛躍する。それによってこの物語を語り始める冒頭がそもそも幻想だったかもしれないことに気づかされる。物語構成としてもその映像での語り方としてもめちゃくちゃによくできた映画だと思った。

セットや影の使い方だけでなく、幻想と現実の区別がつかない映画としては、『カリガリ博士』など表現主義の映画と共通するし、この監督の前作である『吸血鬼ノスフェラトゥ』とも共通する。また、自己の分裂っていうテーマにおいても、決定的に分裂した瞬間を鏡によって表現するって点でも『プラーグの大学生』以降のドイツ映画と共通するように思った。
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