ジョージ

シンドラーのリストのジョージのレビュー・感想・評価

シンドラーのリスト(1993年製作の映画)
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歴史の授業でも名前があがる事もあって、タイトルだけは知っていた。テレビでもオスカー・シンドラーの話は目にしたことがあったけど、映画を観るのはこれが初めて。元々戦争を題材にした映画を観ることは少ないんだけど、オススメされたこともあって鑑賞。

まず驚いたのは、この作品スティーブン・スピルバーグ監督のものなんですね。全くイメージに無かった。ジュラシックパークやETのイメージが強いだけに戦争を題材にしたものを作ってるとは思わなかった。
それだけに、モノクロで始まる画面にはスティーブン・スピルバーグの作品とは思えない。

ナチス党であるオスカー・シンドラーが工場を買い取り新しくホーロー工場を始めるところから始まる。ユダヤ人のほうが人件費が安いという理由から雇うのだが、収容所にいれられることとなり従業員を全て収容所送りにされてしまったオスカーはSS将校に取り引きを持ちかけ、必要な従業員だと言って引き取る事に。
激化するユダヤ人迫害、虐殺が起こる中、オスカーは多くのユダヤ人を救いたいと考えるようになる。

テレビで得た知識はあったけど、こうして映像で観ると残酷さが伝わってくる。
収容所に押し入り逃げた人や隠れた人を躊躇いなく撃ち抜くシーンは心臓がぎゅっと縮むような感覚を味わう。
虐殺が起こる中、ユダヤ人ではないオスカーは乗馬を楽しんでる。この差もね、何も知らないとは言え片方は自由を謳歌し、片方は命を奪われてく無情さ……。たまたま見掛けた光景の中、モノクロの画面に初めて色がついたのが、赤い服を着た女の子の姿。オスカーの視線を意識してるんだと思うんですけど、赤い服の子が他のユダヤ人たちを兵士が撃ち殺したり連れ去る中、フラフラと歩いていく。視線がひきつけられて、きっとオスカーは「あんな小さな子まで」と思ったんだろうなと勝手に察してしまう。

淡々と殺すシーンだけではなく、銃が不発で中々発射されずに助かるシーン。
二丁の銃が不発に終わる中、兵士は諦めて銃身で殴るだけに終わるんですけど、何故殴り殺さなかったのか、とふと思ったんですね。銃なら指先一本で人の命を殺せるけど、コブシを振りかざして殴り殺すってのは相当な殺意が無いと難しいと思うんですよね……そういう人たちが銃を持って、命令と権力があるから起こったことなんだろうなと思いました。
所長が屋敷から働くユダヤ人たちを撃ち抜くシーンなんかはまるで狩りを楽しむかのようでしたね。人ではなく、ネズミやウサギだと思っているような。ただ、それだけじゃなくて撃ち殺した瞬間も周りの人達は特別動揺しないんですよね。当たり前の風景になっていて、命を握られることが普通になってるんだなと察することが出来る。感覚が麻痺してる……。
所長もメイドの彼女に恋をして「きみは違う、触れたい」と思う反面、ユダヤ人に恋をするなんて有り得ないと自分の信じていたものの葛藤に揺れる様子が見て取れる。所長もユダヤ人が人間で自分たちと同じことを理解していても、今までの教育と立場が素直にさせない…。


最初は利益のためにユダヤ人を雇い、ただ金に物を言わせて人生を楽しんでいたオスカーだったけど、金の為だけじゃなく命を救うため自分の身も危ないのに1000を越える人を匿う。例え女性たちが取り違えられて違う場所に送られたとしても、自分のダイヤを送って賄賂とし、なんとしてでも取り返す。

人を救おうっていう大義じゃなくて、戦争って時代、人の命が軽く扱われることに対しての反逆って感じがした。逆らってやる、みたいな。
従業員に感謝されるうちに、一人でも多く救いたいと思ったのかもしれない。「1人の人間を救うものが世界を救う」、一人一人を救ううちに、大きな偉業を成したオスカー。葬儀に参列するひとたちがカラーで映っていたあたり、戦争が終わった、世界に色がついたように感じました。
過去に起こったことであり、映画の中だけで終わるものでは無い。脚色はされていても実際に起きた出来事で、今後もこの世で起こりうることだと考えると刻み付けて忘れないようにしておきたいと思いました。
ジョージ

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