櫻イミト

荒野の女たちの櫻イミトのレビュー・感想・評価

荒野の女たち(1965年製作の映画)
2.5
ジョン・フォード監督の最後の劇映画。興行的には大惨敗に終わった。原題「7 Women(7人の女たち)」。

【あらすじ】
1935年モンゴル国境の中国。キリスト教伝道所(隣保館)に女性宣教師アガサと女性5名男性1名の白人スタッフが駐在していた。そこに無神論者の女医カートライト(アン・バンクロフト)が赴任する。酒とタバコを好むカートライトと伝道所の面々は相容れないが、コレラ発生の難局を彼女の機転で切り抜ける。一方、周辺ではカーン率いる馬賊が出没し略奪や殺人を続けていた。そしてついに伝道所も襲撃占拠される。捕虜となった彼女たちに生き延びる道はあるのか。。。

キリスト教の勉強のために観賞。

清々しいほどに差別感情を打ち出した怪作だった。女性差別、宗教差別、有色人種差別、同性愛者差別・・・対して肯定されるのはマッチョイズム。これがB級エクスプロイテーションであれば偏向が前提のようなものなので許容できるのだが、本作は大御所フォード監督の最終作でありその思想は深刻に受けとめざるを得ない。

宣教師の中国での活動を描いた作品は、先日観たばかりのバーグマン主演「六番目の幸福」(1958)やグレゴリー・ペック主演「王国の鍵」(1944)などの実話ものが有名で、いずれも人道主義の美徳を描いている。これらに唾を吐き宗教者の無力を謳うのが本作だ。厳格な女性宣教師アガサは最後まで口先ばかりの偽善者として描かれ、正義を貫くのは男性的な精神を持つ主人公カートライト。女性宣教師は主人公の引き立て役として使い捨てられる。

カトリック信者として知られるフォード監督が何故?との声を見かけるが、アガサは偶像崇拝を否定していることからプロテスタント系とわかる。つまりカトリックの立場からプロテスタントを卑下して描いている。この例にもれず本作は、フォード監督が好まないものを次々に卑下し主人公の引き立て役として使い捨て、マッチョ思想ベースの自己犠牲の美徳をうっとりと謳いあげているように感じられる。

フォード監督は長年に渡って自身の思想スタンスはリベラルだと発言してきた。しかし最終作で遂に正反対の本音をぶちまけたように思う。政治的には本作の数年前に民主党から共和党へと転向している。彼は映画界に入った初年度、「國民の創生」(1916) で北方人種至上主義の差別団体KKKの団員を演じた。奇しくも50年後の最終作でKKK的な思想を展開する姿には、“初心に帰る”という言葉を想起した。「あばよ、クソ野郎」と吐き捨て、綺麗ごとを纏った監督キャリアを投げ捨てたように感じられた。

個人的に、映画作品における思想信条には寛容を心掛けているが、好き嫌いはある。本作の剥き出しな差別思想と卑劣な表現手法に触れて、フォード監督作に感じてきたモヤモヤした嫌悪感がクリアになった気がする。

「自分にとって、アメリカ西部劇のヒーローは、間違いなくジョン・フォードではない。ごく控えめにいっても、このおれは彼を憎悪している」クエンティン・タランティーノ

※フォード監督は本作でのアン・バンクロフトに不満で「単調な情婦」と発言。対してバンクロフトは現場でのフォード監督の印象を「狂っている」と語った(IMDbより)。
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