EugeneHashimoto

模倣の人生のEugeneHashimotoのネタバレレビュー・内容・結末

模倣の人生(1934年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

デライラが通りを間違えたことからシングルマザー同士の共働が始まる。デライラが教室を間違えなかったことでペオラの自己嫌悪が極まる(《私はあなたのニグロではない》で引用されていた印象的な箇所。このくだりに先立つプルマン親子がババ抜きをしている情景のえげつなさ! この画がデライラがペオラに言う「神様の決めてくださったことは受け入れなさい」に対応するのかもしれない)。

素では落ち着いた、物静かな口調と立ち居振る舞いで、哲学的な雰囲気さえあるデライラが、「デライラおばさん」としてキャラクター化されること。デライラの顔が日の丸構図で大写しになる2つのカット(看板用の顔をさせられるところと、カメラを真っ直ぐ見て「咎められるべきは誰なのか、神様にもわからない」と言うところ)の対比。

ジェシーがペオラを「黒人」だと言ったことについてペオラが「そうだ」と言うのではなくて泣き帰るほどの動揺を来してしまうこと、母親が「なんてこと言うの」と言うこと(ペオラが黒人であることは言ってはいけないことになっている)。自分自身を憎むように外側から働きかけてくる強い力が、悪意のない、優しく穏やかな姿で描かれていて、生々しかった。

生き方については多くを望んでいないように見えるデライラがあれほどまでに葬式にこだわる理由がはじめはよくわからなかったのだけれども、あれはたぶん同胞へのエンパワメントという意図が大きかったんだろうな。白人を模倣する人生の先にあるものを、夫と娘の姿からよく知っていたのだし、黒人として立派に葬られる姿を見せることの意味を考えていたんだと思う。

「魚に関わっているとこの程度の男にしかならん」 お魚のせいにすな
EugeneHashimoto

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