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ドラゴンvs7人の吸血鬼のMOCOのレビュー・感想・評価

ドラゴンvs7人の吸血鬼(1973年製作の映画)
3.5
「ヴァン・ヘルシング、お前は全世界のこんな場所でさえも私を悩ませるのか?」
「ドラキュラ伯爵、ここにいるのはわかっていた」
「お前の呪いのせいだ」
「姿を表せ、他人の姿に隠れる気か?それとも私に顔を見せるのが怖いのか?」
「私は暗黒の支配者ドラキュラ、最高の吸血鬼、呪われた者を従えるゾンビの王」
「姿を表せ」
「いいだろうヴァン・ヘルシング、お前が死ぬ前にまた顔を拝ませてやる。
 倒してみろ!」


 1974年、イギリスのハマー・フィルム・プロダクションと香港のショウ・ブラザーズ共同制作の映画『ドラゴンVS.7人の吸血鬼』です。

『吸血鬼ドラキュラ』にはじまるハマーのドラキュラシリーズの9作目に当たる作品なのですが、クラシックホラー映画のハマー・フィルムは衰退期
に入り、ヴァン・フェルシングにピーター・カッシングを起用し、ブルース・リーが作り上げたカンフーブームに乗っかるように制作されたのですが一部のファンには傑作と評価されながらも駄作のレッテルを貼られ、ハマーの救世主になることもなくハマーは歴史を閉じることにりドラキュラシリーズとしても最終話となってしまいます。
 しかし、この映画の発想が後に大ヒットシリーズになる『霊幻道士』を産み出したと言われ、ゾンビの襲撃シーンはキョンシーのようにコミカルではないのですがキョンシーの匂いがします。

 ハマーのドラキュラシリーズは日本国内でのDVD販売は、希少なものが多く『ドラゴンVS.7人の吸血鬼』はビデオ化はされたもののDVDの販売はされていません。
 観ることができないとなるとなにがなんでも観たくなってしまうのが映画の不思議なところです。


 1804年、トランシルヴァニアの吸血鬼ドラキュラの城を中国の僧カーが訪れます。
 カーはドラキュラに衰退している中国の吸血鬼復活の助力を求めにやって来たのですがドラキュラは話を聞いてカーの体を乗っ取り、カーが住職を務める寺がある中国の山村に渡ります。

 1904年、ヴァン・ヘルシングの教授は重慶の大学の講義に招かれ「中国の小さな村に7人の吸血鬼が存在し村人を拐い・・・、娘を拐われ殺されたた男が1人を退治したが殺され、今も6人の吸血鬼に村人が襲われている・・・」という『中国の七人の黄金の吸血鬼』にまつわる話は真実ではないだろうか?と話をするのですが、講義の途中で聴講生に退室されてしまいます。しかし、シ・チン(デビッド・チャン)だけは講義後にヴァン・ヘルシングを訪ね「吸血鬼を退治したのは祖父で、その村は自分のふるさとで今も吸血鬼達の脅威にさらされている。一緒に村に来てほしい」と言い出します。

 ヴァン・ヘルシングの一行は教授と息子レイランド(青年)、旅の出資者でスリルを求める若い未亡人ブレンと、チンの6人の弟と1人の妹、いずれもカンフーの達人です。
 旅の途中、チンとブレンは思いを寄せるようになりレイランドとマイ(チンの妹)も思いを寄せるようになります。

 長旅の末、一行は村に近い洞窟で夜を迎えるのですが、3人の吸血鬼とゾンビの集団に襲われます。
 チン兄妹の活躍で3人の吸血鬼とゾンビ集団を撃退し、村人を怯えさせている吸血鬼は残り3人、一行は村に入ると村はずれの寺院からやってくる吸血鬼の来襲に備えるのですが、チンの弟達は戦いで次々と命をおとし、チンは吸血鬼にされてしまったブレンに噛みつかれ、ブレンの命を奪うと自らの心臓にも・・・。
 怖れて扉を閉じていた村人達も立ち上がり、最後の吸血鬼はマイを拐い寺に戻るのですが、後を追ったレイランドとの格闘の末、ヴァン・ヘルシングにとどめを刺されます。

 一行で生き残った者はヴァン・ヘルシングと息子のレイランド、マイを含むチンの弟妹の3人だげだったのです。
 7番目の吸血鬼の最後を見届けた6人は次々と寺を後にするのですが、ヴァン・ヘルシンは寺の片隅に一人の僧侶(カー)を見つけます。
 そして・・・。


 吸血鬼+ゾンビvsカンフーの2社合同映画はそれだけで十分面白みがあるのですが、そのプロローグとエンディングに無理やりドラキュラ伯爵を絡めてしまったことがこの映画の欠点です。
 ドラキュラ絡みに費やした映像時間を吸血鬼+ゾンビvsカンフーにしっかりとることが出来ていれば『霊幻道士』以上の作品になり、今も容易に観賞できる扱いになっていたかもしれません。残念なことに吸血鬼+ゾンビvsカンフーは淡白で盛り上がりもなく、吸血鬼とドラキュラも呆気なく殺られてしまいます。
 起死回生を願うばかりに、ドラキュラにこだわりすぎたハマーの悲劇です。
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