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「女の小箱」より 夫が見たの3104のレビュー・感想・評価

3.7
これまでの作品に多くみられた「外連味」と、これ以降の作品に多くみられる「エグ味」が混ざった、いかにも“64年型増村”な一作。

悪いやつらばかり出てきているように見えて、実は主演の田宮二郎とあややは正直で正攻法に終始しているところが、一見ドロドロしている作品ながらも観終えたあとになぜか(?)ほのかに漂う清涼感のようなものの原因か。

主演の二人以外だとゲス&小物っぷりが素晴らしい川崎敬三や、増村の次作『卍』でも存分に堪能できる岸田今日子の不気味&妖艶さがインパクトあり。しかし「仕事と私のどっちが大事なの?!」という、現実で問われたらそんな女性からは即刻離れなさい!なキーワードがストーリーの分岐点(つまり問われた2人の答えがどちらへ曲がるかのウインカー)になるなんて。


昔の映画を今の視点から観るときに、ある意味それを言っちゃぁおしまい的な「男尊女卑/マチズモ」な問題。特に増村作品にはそれが頭をもたげる局面が多いのだが、今作でもそれは顕著だ(特にあややの兄があややに説教するくだりなど)。当時はそれが“普通”(≠正常)で、作品を楽しむというか“普通”に観るための前提のようなものだったのだろうが、少しでも後世の視座を持つと途端にいけない(≠悪い)。「客観的にモヤモヤした気持ち」とでも言おうか、そんな感情が心のどこかに湧き上がってしまう。
ただこれは邪道なのかもしれぬが、そんな「後載せされる感情」も込みで昔の映画を観て、その状況を楽しんでいる自分がいることは紛れもない事実だ(時に何らかの理由で楽しめないこともあるが。描写の程度のあるいは方向性の問題)。映画は必ずしも「共感」で成り立つわけではないのだ。

今作での若尾文子は顔の下半分のラインがとても綺麗。
そして“56年型”も“58年型”も“62年型”もそれぞれ好きなのだが、ここでの“64年型若尾文子”の美しさは完成の域といっていい。
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