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パレードのkuuのレビュー・感想・評価

パレード(2024年製作の映画)
3.7
『パレード』
製作年 2024年。上映時間 132分。
藤井道人監督が長澤まさみを主演に迎え、この世から旅立った人々から残された人々への思いをテーマに描いたオリジナルのヒューマンドラマ。
自らの死を自覚し、次第に運命を受け入れていく美奈子役を長澤が務めたほか、青年アキラ役を坂口健太郎、ヤクザの勝利役を横浜流星、映画プロデューサーのマイケル役をリリー・フランキーがそれぞれ演じた。
そのほかの共演にも寺島しのぶ、田中哲司、森七菜、黒島結菜、中島歩、若林拓也、深川麻衣、でんでん、舘ひろし、北村有起哉、木野花、奥平大兼と実力派キャストが集った。
撮影は、藤井監督と数々の作品でタッグを組んできた今村圭佑。Netflixで2024年2月29日から配信。

瓦礫が打ち上げられた海辺で目を覚ました美奈子。
離ればなれになったひとり息子の良を捜す彼女は、道中でアキラという青年や元ヤクザの勝利、元映画プロデューサーのマイケルらと出会い、やがて自分がすでに亡くなっていること、未練を残して世を去ったため、まだ“その先”に行くことができずにいることを知る。
そしてアキラたちもまた、さまざまな理由でこの世界にとどまっていた。
現実を受け止めきれない美奈子だったが、月に一度死者たちが集い、それぞれの会いたかった人を捜すパレードに参加したことをきっかけに、少しずつ心が変化していく。

仏教徒ではなくても『彼岸』は聞いたことがあると思う。
その彼岸ってのは、一般的には『お彼岸』なんて呼び、春分と秋分の日を中日とする各7日間に仏教の習わしに基づき墓参りをはじめとする先祖供養が年中行事として行われたりする。
因みに、お彼岸の時にお供えするあんころ餅は、春と秋の彼岸で呼び方が違う。
春は『ぼた餅』、秋は『おはぎ』と。
また、この『彼岸』(あちらの岸)は、苦しみから解放された世界や、煩悩からの解脱を目的とした仏教用語からきてる。
その彼岸と対極してあるのが、この世の『此岸』。
此岸から彼岸へ向かう間には何があるのか?
大きな隔たりを越えた先に何が待っているんか?
仏教ばかりで抹香臭いですが、釈迦はそんな世界の事については『無記』なにも述べていない。
小生も淡い色合いで願いに似た感じでは空想してはいるが、実際には有無は何とも云い難い。
脚本家兼監督である藤井道人の今作品では、生者の国でやり残したことがある亡き魂がYouTubeで陰謀論なんか話しとる兄ちゃんが夢想したような虚無の世界に取り残されると描く。
しかし、よく考えたら悲しい話やわ。
やり残したことが無く、思い残すことがなく亡くなられる方は如何ほどいるやろか?
亡くなられた方の殆どがやり残して逝かれるんじゃないかな。
なら、亡くなられた人の多くが今作品で描かれてる彷徨人となることになる。
ミッションをクリアしない限り彷徨う。
切ないし、かんがえたらやるせない。
先に逝っちゃった父や母、祖母、そして、親友はミッションをクリアして無事に逝けたやろか。
彷徨ってへんかな?今だに彷徨ってんならなんか侘しいやら申し訳ないやら。
また、作中の彷徨人たちは比較的、善き人が多いが、アドルフ・ヒトラーってまでは云わないまでも残虐非道を尽くした人でさえも彷徨うのなら、考えただけでもゾッとする。
サイコパスの人の多くが、『殺る』ことが、やり『殺り』残したことやとは思うし、死者は人を殺せないし、永遠に彷徨ってるはず。
『殺る』ことがやり残したことじゃないならサイコパスではないし、なんらかのミッションは容易にクリアしているやろ。
つまり、このお話のセオリーなら、アブナイ奴らばかりが彷徨ってるはずなんやけどなぁ。
でも、今作品の彷徨い人は悪い奴はいなかった。
そして、少々艶やかなところが主な舞台となっていた。
ランタンで飾られた観覧車が見下ろす、ひなびたバンガローと屋外バーがある廃墟のホリデーキャンプ。
音楽フェスの場所のようであり、心身の癒しや健康を軸とした体験ができるプログラムや滞在型のウェルネス・リトリートみたいであり、テラスハウスのようでもある。
昼間は幽霊たちは生者の間を自由に彷徨い、家や職場を再訪し、一人は自分の命日にも出席する。
夜はカラオケを歌い、鍋を囲み、酒を酌み交わす。
彼らが次の世界へ行くことができるのは、後悔や残された人々への義務に決着をつけてからだ。
月に一度、土地に散らばった精霊たちが、生者と死者を問わず、探し求めた人々を見つけるために互いに助け合うために集まる。
これが実際にどのように機能するのかは説明されないが、RADWIMPSのフロントマン、野田洋次郎による情感豊かなサウンドトラックに乗せて、行進する魅力的なシークエンスがいくつか用意されている。
月に一度の満月の日の『死者のパレード』ちょい新海誠のアニメを思い出した。
ほとんどの登場人物にとって、このような再会が終結に必要なすべて。
マイケルと名乗るおしゃべりな映画プロデューサー(リリー・フランキー)は例外で、未完の傑作を完成させようと決意する。
学生運動家の過去と、彼が遺した大きな愛にインスパイアされた半自伝的ドラマであり、藤井監督は中島歩をフィーチャーしたフィルム・イン・フィルムとして描く。
そのため、映画の魔法への賛歌や、人が死んでから天国へたどりつくまでの7日間を描いたファンタジードラマ是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』(1998年)から引用したようなシークエンスがいくつか見られる。
今作品は是枝監督の映画と同じように穏やかな作品だが、死と記憶についての瞑想、あるいは映画そのものの本質についての瞑想において、同じ深みには達していない。
リリーフランキーのキャラが、一般的な傾向にある映画の中で奇妙に具体的に見えるとしたら、それは藤井監督が実在の人物を念頭に置いていたからやと思う。
それは、2022年に亡くなったプロデューサーの河村"マイケル "光庸で、今作品ではプロジェクトの発起人としてクレジットされていた。
河村は、ガッツ溢れる政治ドラマや刺激的な作品を好んでいたそうだが、山田洋次監督の『キネマの神様』(2021年)に近いトーンのこのオマージュした今作品を、プロデューサーがどう思ったかはわからない。
藤井は少なくとも、過度に感傷的になることはない。
今作品はノスタルジアの温かな光に包まれてはいるが、必要以上にお涙頂戴になることはない。
摩訶不思議な物語やって面白かったけど、やり残してるエピソードがありそで、不完全燃焼気味かな。
ドラマでじっくり描いては欲しかったかな。
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