烏丸メヰ

陰陽師0の烏丸メヰのレビュー・感想・評価

陰陽師0(2024年製作の映画)
2.9
平安京。
陰陽師を目指す候補生らの中に“狐の子”と噂される若者がいた。
人付き合いにも出世にも興味のない彼は、音楽を愛する貴族・源博雅と出会いその真っ直ぐさに刺激を受けながら、やがてある事件に巻き込まれていく。
身分、権力、闇への畏れ。

「信仰の為に犠牲となる人生」それもまた、呪術の負の側面。


実在したとされる安倍晴明の伝説をモチーフにした夢枕獏氏のファンタジーホラー小説を改変。
小説よりも過去を舞台に、陰陽師候補生時代の晴明と博雅を出会わせる青春的バディアクションしてのアレンジが色濃い。

呪術をモチーフとした少年漫画人気に乗っかる形の宣伝やキャッチコピーでありながら、意図的に「呪術を見せようとしていない」作り。
呪術だけでなく葛葉姫や蛙の伝承等有名な晴明伝説の否定から入る、チュートリアルがっつりな見せ方は現代的でありつつ、従来の陰陽師モノを期待して観ると拍子抜けするのは否めない。
更にユングみたいな理屈をやりたいのなら、正直、もうこれ安倍晴明のアレンジじゃなく一から井上円了で作品作れよ(まあ今の邦画にそんな数字狙えない冒険は無理だろうけど)、とは思ってしまう。
このあたりの質感に特化・徹底した『NOCEBO(ノセボ)』という面白いオカルトホラーが直近で存在した為、心理学的アプローチでの切り口も微妙に弱く感じてしまった。

原作にも「名前をつける、という行為は概念で縛る事であり呪のシステムと同じ」みたいな、オカルトより科学に寄った精神的な理論はあるが、ハリー・ポッター的なファンタジーを一筋縄ではやりたくなさすぎてひねくれ、原作の幻想怪奇を「子供っぽいもの」のように扱い捨てて
「大人っぽくしよう」
としてる感が個人的にノイズ。
大真面目に『コンスタンティン』を作れる海外に対し、何故こんなにひねくれているのかと、常日頃邦画(実写)のファンタジー忌避に対して思っている。

白組の高水準なVFXも少女漫画のスクリーントーンみたいな耽美演出に使われ、原作の博雅のキャラクター性である
「人外のもの、人外に堕ちたものの心さえ震わせる笛」
という要素もなく、笛は(ストーリーを「大人っぽく」したいのだろう)対人恋愛要素とブラザーフッド要素としてのみ描かれており残念。

小道具や建築、そして何より俳優陣の演技は圧倒的。空間や人物に完璧に血が通い、多くのアイコニックな漫画キャラクターを演じてきた山﨑賢人氏のまた違う表情・佇まいの役づくりと、新しい安倍晴明像は魅力的。


予告編を観たときからやや違和感だったのだが、
「安倍晴明が“命ずる”」
の詠唱の最後が
「“~たまえ”」
なのはしっくり来ない。これ正しいのかな。
(前者なら自分より下位の鬼神等を動かすため「急急如律令(すぐやれ)」等で結ぶ。後者は祝詞のように上位の神等に「~して下さい」のお願いのニュアンスを感じる)
いざなぎ流祭文にも「給へ」で結ぶものがあるが、「命ずる」という上からのニュアンスではないように聞こえる。

いわゆる着物警察や拳銃警察のようにゆるいフィクションの粗を正論でけなすような気はないので、これで評価を下げてはいないが、
「命令する!◯◯してくださいお願いします!!」
って変じゃない?とは思ってしまった。

※ネタバレ感想はコメントに追記
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