lento

アメリカン・フィクションのlentoのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.0
アフリカ系アメリカ人という作家の立場を通して、社会的な先入観(レッテル貼り・ステレオタイプ)がどのように形成されているのかを描きつつ、押しつけられたアイデンティティと格闘するなかで、やがて個人的な価値観の変更を迫られることとなり、それを梃子(てこ)に人生をブレイクスルーしていく姿を描いている。

それらの描写の象徴度が高いために、国・人種・民族・境遇などを超えた普遍性があり、またコメディとしての語りにも、強い力と高い質感が宿っていた。

そうした作品性であるため、観た人間がそれぞれに抱える宿命のようなものが、それぞれに投影されるところがきっとあり、すべてのシーンが素晴らしくよく出来ていたとしか言いようがない。かといって散漫な印象もなく、始まりから終わりまで一気に観させる力がある。

それが社会であれ、家族であれ、さらには自分自身であれ、それまでの価値観では立ち行かなくなったときに、相手に価値変更を求めても何も解決しないばかりか、相対的な価値と価値の対立を深めるばかりになる。

ブレイクスルーには、相手の価値を自分自身に引きつけながら、内的に食い破っていくしかない。

ジェフリー・ライト演じる、主人公のモンク(本名はセロニアス・エリソン。ジャズピアニストのセロニアス・モンクと同じ名前であるため、モンクと呼ばれる)が、偽名で書いた通俗小説によって人気作家となったのも、姉や兄との確執と初めて向き合い、恋人との諍(いさか)いについても、おそらくは初めて乗り越えようとしたのも(劇中には描かれていないものの、彼は持続的な関係を誰とも築いてこなかった)、父親から譲り受けた祝福(才能)と呪い(頑なさ)のなかで、他者の他者性に自らを開いていった経路となっている。

これは『ショーシャンクの空に』(フランク・ダラボン監督, 1994年)で、ティム・ロビンス演じる主人公が、牢獄に穴を掘っていった経路と同様であり、彼もまた外部から押しつけられた状況を、内的に食い破っていったことになる。

そして、ラストで劇中劇として描かれる3種類の顛末(てんまつ)には、可笑しみと真実味とが宿っていた。主人公の男は、象徴的な領域で死ぬことによってこそ、現実的な領域で生きていくことになる。そのため、胡散臭いプロデューサーの男が「これこそ映画だ!」と叫んだのも、可笑しみであると同時に、やはり真実でもあった。

エンディングに流れるのは、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスによる『枯葉』。マイルスもまた、この映画の主人公の男のように、裕福な家に生まれ、黒人として戦い、音楽を内的に食い破っていく軌跡を生きた。
lento

lento