mさん

わたしと、私と、ワタシと、のmさんのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

「ただの夏の日の話」
人生の意味を見失ってた女性が、ひょんなことからおじさんと2人で桐生を散策しながら、ちょっぴり前向きになる、そんな映画でしたね。
冒頭のホテルや、その後のおじさんとの距離感の演出には女性にしか描けないと思いました。
カメラマンによって切り取られた広大な桐生の美しさと、その中におじさんと女性が2人ぽつんといる画が絶妙にユーモラスで見ててずっと退屈しませんでしたね。おじさんのキャラによってこの作品の作為的な部分が自然になっていたのが良かったですね。例えば最後電車でおじさんが急にもう1日桐生で過ごすっていうのも、多分脚本的に電車には彼女だけが乗って欲しいからという都合があるからだと思うんです。けど、おじさんは桐生を積極的に楽しんでるそれまでの過程があるので全く不自然に見えない。そういう部分がすごくうまいなと思いました。
ラストおじさんが図書委員の人だったという部分だけ少し整合性をとりすぎて逆にモヤモヤしてしまったりしましたが、とても良かったです。

「春」
だんだんと認知症が進行する祖父を支えながら、日々を生きていく孫の話。初めはだらしなかった孫、それを律する祖父の関係が認知症によって、どんどんと立場が逆転していく様が痛々しくもありリアルでした。授業でのチョコレートのポスターの講評、それにより自信を喪失し、さらに祖父にも理解されない。なのに祖父を支えないといけない、そのやりきれなさから祖父と孫の関係性は一度地に堕ちます。流石に首を絞める部分はやり過ぎかなとも思いましたが、「なんだよ」と祖父を突き飛ばすシーンは凄く印象的でした。2人の関係性が回復するきっかけが、祖父も孫と同じ「生きている意味」にずっと怯えていたことがわかったからというのも凄くいいなと思いました。撮影がフィルムっぽいし、ただの夏の日の話と違って、積極的に俳優の表情を映さず、後ろ姿や影を使いながら感情を表現してたのが面白かったですね。

「冬子の夏」
僕としては1番驚きはありました。

自分を世界の型にはめようとする、教師、ハマろうとする周りの高校生。全てを斜めに見てウエっ、キモっと吐き捨てる冬子。彼女と唯一馬が合うのは同じ感性を持ったノエル。しかし、彼女ともズレが生じ始め…冬子が向かう先は?みたいな映画でしたね。

とにかく表現方法が他の2作と違ってテクニカルだなと思いました。だんだんとノエルと冬子の掛け声がずれていくタイトルコールはやがて冬子が1人になることの暗示だと思いました。あと極め付けはラストの撮影隊も入れちゃったカットですね。そしてラストのばーかの台詞。この映画は結局何が言いたいんだ?みたいに一瞬なりましたが、1日考えて多分こういうことなのかなとなんとなく思いました。

あれは結局この世界のルールからはみ出していくことの極地として映画や物語としての形式も打ち壊していくという意味なんだと思いました。最終的に冬子は孤独になっていく。彼女は結局どうなってしまうのか。彼女もきっと何か自分の道を見つけるはずだ、そう感じながら映画は続く。起承転結の結が普通はあるはずだと僕らは思うからです。しかしまずスタッフが映り込み出し、この作品のはみ出しが始まります。絶対に映り込んではいけないスタッフを入れることで物語の枠からはみ出していってしまいます。さらに最後冬子が向かった先は特に意味もない道の曲がり角。そしてバーカと一言。これは映画として何か綺麗に収まることを期待した私たちに向けた一言だったんだと思います。そうやって徹底的にはみ出した冬子を収めた、いや収めきれなかったのがこの映画なのかなと思いました。

オムニバスでこの作品を最後に持ってきたのもそれまでの2作品では主人公の女性になんらかの成長や、収まりの良さがあったからだと思います。その3作目なので無意識に僕らは冬子にも治りの良さを求めてしまうという効果を狙ったんだと思います。

仕掛けは面白いですし、効果も抜群んでしたが、ただ、そうすると冬子が映画の外へ出てしまったので作品自体が単なる驚きを誘発するためだけのいわばマジックのような映画でしかなくなってしまい、それがどうしたんだろう?となってしまう気がしました。
mさん

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