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METライブビューイング2023-24 アンソニー・デイヴィス「マルコムX」のパングロスのレビュー・感想・評価

3.9
原作、脚本、作曲、演出、指揮のすべてが黒人、さらにはライブビューイングのインタビュアーまで黒人女優アンジェラ・バセット(スパイク・リー監督の『マルコムX』のベティ役)がつとめるという徹底ぶり。
もちろん、出演歌手も、合唱団も、ダンサー達も、ごく一部の白人役を除き、オールブラックキャストである。

MET初演のプレミエ上演のため、カーテンコールでは、作曲者のアンソニー・デイヴィス(1951-)はじめ関係者総出で喝采を浴びていたが、1985年初演だそうだから新作などではなく約40年前、デイヴィス34歳の時の作品ということになる。

オペラとしては、登場人物同士の対話らしい対話は、第3幕冒頭のイライジャによるマルコムへの尋問シーンぐらいで、あとはソリストの独白と合唱とでもっぱら構成される。
作曲者の出自からも音楽はジャズをベースにしており、全般に劇作品としてのオペラらしさは乏しく、ジャズ・オラトリオと言った方が良い感じだ。

ところが、歌手陣は、一人を除いて、完全にクラシックのオペラとして朗々と歌い上げ、ジャズ味はほとんど感じられない。
また、ダンサー達もバレエ団から起用したらしく、ジャズ、ビーバップ、スウィングなどの場面でもコンテンポラリーダンスを基本としたスタイルで踊るばかりで、観ていてもリズミカルな楽しさは伝わって来ない。
METの過去例では、ガーシュウィンの『ポーギーとベス』でもジャズ味が薄くて、作品本来のワクワクするような楽しさに欠け、いささか艶消しの出来になっていたのと同じである。
(バーンスタインが自作のウエストサイドを、かなり後年になってオペラ歌手によって録音して悦に入っていたが、これも作品本来のエネルギーが何がしか失われたことは否めない。その点、佐渡裕がロバート・カーセンの演出で公演したキャンディードは、ポップ味も生きて、かなりバランスがよく成功例だったと思う。再演を望む。)

唯一の例外は、小悪党の遊び人ストリート(『ポーギーとベス』のスポーティング・ライフにあたる)と、イスラム教の使徒イライジャの2役を演じたビクター・ライアン・ロバートソン。検索してみると、彼はミュージカルやポピュラー音楽の世界でも活躍しているようだ。
特にストリート役では、リズムに乗りながらスウィングするように楽しげに歌っていた。

タイトルロールのバリトン、ウィル・リバーマンは歌唱は正確だが、マルコムらしいカリスマ性は感じられず、ミスキャストではないかと思った。

キング牧師と並ぶ黒人解放運動の聖人を扱った本作が歴史的な意義を有し、世界水準のMETで初演されたことの重要性を認めるにやぶさかではない。
しかし、マルコムXの人となりを知るには、正直、本作に触れるよりもスパイク・リーの映画を観た方が早道だろう。

【参考になる記事とレビュー】
細かすぎて伝わらないグラミー賞2023〜クラシック編その2
能地祐子 2023.1.30
note.com/dadooronron/n/nb9e8c360638e

Commentarius Saevus 2024-02-02
宇宙船はやめたほうが…METライブビューイング『マルコムX』
saebou.hatenablog.com/entry/2024/02/02/173911
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