ちょっと魔法でばんそうこ

差別のちょっと魔法でばんそうこのレビュー・感想・評価

差別(2021年製作の映画)
2.5
(チャビョル)
アンコール上映にて。
監督は2015年に上映した、在日朝鮮人の俳優が舞台出演のための韓国入国を拒否された『航路(ハンロ)』のキム・ジウンとキム・ドヒ。
上映後にキム・ジウン監督のトークイベント(?)あり。
韓国・釜山の映像プロダクションに勤める監督が初めて朝鮮学校を訪れたのは2009年夏。海外同胞との交流団体の一員として大阪の初級学校(小学校)へ。 軍事独裁政権下で徹底的な「反共(パンゴン)(共産主義)教育」を受けた世代。母方の祖父6兄弟が日帝時、大阪に20年間暮らして1946年ごろ帰国し、母方のおじから在日同胞が差別を受けていた話を繰り返し聞いて育った。朝鮮学校を「北韓(プッカン)(北朝鮮)の思想教育の場では」と思い、身構えていたそう。
戦後80年近く 朝鮮学校は存在してきたのに多くの日本人がその存在とそれを取り巻く環境を知らない。韓国社会も在日朝鮮人に無関心。それらは監督を驚かせた。 日本で生まれ育ち20何年生きてきたわたしは、10代後半まで朝鮮学校の存在を知らなかったし、在日朝鮮人の存在を意識することもなかった。日本や韓国だけでなく世界中のもっと多くの人が、日本政府の在日朝鮮人への行いを知れば、わたしが感じたようにほとんどの人が「おかしいこと」だと言うと思う。知らなければ何も始まらないので、知れたという面でこの作品の意味は大きい。

* 2010年から実施された日本の高校無償化政策から、朝鮮総連などによる支援金流用の懸念という理由で、唯一除外された朝鮮高級学校10校。うち5校が2013年国家を相手に損害賠償訴訟を請求。
note) 第2次安倍晋三内閣府発足 学校(ハッキョ) チマチョゴリ切り込み事件 劇団『タルオルム』 朝鮮人を(日本から)なくすためには、朝鮮学校をなくすのが一番簡単だと思っている
以下、パンフレットより)
 *朝鮮が日本の植民地だった1910〜1945年、自分の意思でまたは徴用・徴兵などで日本に渡った朝鮮人は約200万人。当時の朝鮮半島の人口はおよそ2千万人程度。国民の1割にのぼる朝鮮人が宗主国の日本に渡ったことになる。当時、両国を往来する連絡船の航路が釜山と下関、釜山と大阪、済州と大阪間を繋いでいたため、彼らの出身地は慶尚道が圧倒的に多く、済州道がその次だった。 1945年終戦後、解放を迎えた朝鮮人たちは、玄海灘を再び渡ったがそれぞれの事情で帰国できない同胞も多かった。当時の朝鮮半島の情勢は混乱していたし、GHQ施政下では帰路につくまでの持参金を1千円までと制限していたのだ。その後も朝鮮戦争の勃発。結果、日本に留まることになった数は約60万人に。これがいわゆる在日朝鮮人(コリアン)の登場。日本に渡った世代を在日1世、その次の世代を2世と呼んでいる。今は4・5世の若い世代が日本で暮らしている。
 *1945年の解放までの在日朝鮮人は全員日本籍を保有していたが、1947年「外国人登録令」を機に在日朝鮮人を「外国人」として規定、国籍欄に「朝鮮」と記すようになった。これは、すでに滅んでいる「朝鮮」を国籍にしたことから無国籍の扱いをしたことになる。1965年の韓・日基本条約(国交正常化)をきっかけに韓国籍を取得した者に限って「協定永住権」を与えてから韓国籍を選ぶ人がだいぶ増えている。朝鮮学校では国籍問わず在日コリアンなら誰でも入学できる(現在、生徒の60%が韓国籍、30%が朝鮮籍、10%程度が日本籍)。 海外旅行の際のかなりの不便を甘受しながらも無国籍(朝鮮籍)を維持している者の中には、「国籍を変えるのは自分の祖国が2つであることを認めることになる」と言う。